テキスト1974
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明治の末から大正時代はいわゆる祝代花のその前期のころである。盛花瓶花の初期であって、伝統花から目由瓶花へうつりかわりの時代ともいえる。そのころの花道家はそのころとして、それぞれ作品の技術を競い種々な考案工夫をしていたものだが、ここに描いた花留の閤は、その時分に私の父の使っていた花留具で、面白い着想なので参考のためにふり返ってみることにする。上図は生花のくばり木である。そのころは今と迩って農村の索朴な時代だから、八瀬や大原のおばさん連花留の工夫(明冶)中に頼んでおくと、一束百本入りのものを八十銭ぐらいで何束でも注文次第もってきてくれたのだが、そのころに私の父の考案した花智具である。またぎを合金属で作って長短を自由に変えるために、尖端に輪をつけネジの仕掛で長くも短かくもして、花器にあわそうという工夫である。今の私から考えると接触が悪くて、かえって不便だろうと思えるのだが、その当時はこれを盛んに使っていたことを見覚えしている。その後、一般的にとうのくばり木、また別に竹のくばり木など、いろいろな工夫があって、それぞれ手なれ.. てくると、それはそれで使えるものと思うのだが、結局、生花のくばり木は自然の木のまたを利用した、昔ながらのくばり木がいちばん使いやすく、上品に見えるものである。このごろは少なくなって手に入りにくいが、自然の木の柔らかみと生花の自然趣味とが調和するのであろう。下の図は同じころ(盛花のはじめのころ)まだ剣山花留のないころ、これも父の工夫だが、図の様なシンチュウ製の花留具を作って盛んに使っていた。香炉のホヤの形をうつして、花がうまく挿せるように考えたものだが、花留具として土品であり発想もよいものだと思う。(e配甘末覇)12

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