テキスト1974
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永い年間、花を教えていると生徒の数も多いことだが、習う人達にも個性がいろいろあって、その進歩についてもその期間のうちに個人的な差違が生じて行くことが理解されるのである。もちろん年令の点にも関係があり、男女の性別によって進歩の状況が異る、という場合もある。年若い人、年配の人、老年の人、この年令の差迩によって理解の程度、技術の進歩にも大きく関係する。また、自分から積極的に研究してそれをつきとめようとする態度をもつ人、花を活けて楽しむ、といった程度の人、こんな点にも永い期間には等差が生ずる原因になることは当然である。しかし、一般的にいって同様な条件のもとに―つの道を進むことであり、習いはじめの平坦な道からやがて年月を経て、うに段々と技術的にも複雑になりむずかしくなり、いつしか高い位置に進み入ることになるのだが、その場合に、多くの人達の固人差によって、はじめは同じように出発してもやが(いけばなの場合)徐々に山路に登るよ専渓ては、その人達の個性によって進歩の速度や、進歩の個性(進歩にも各人のくせがある)が変わって行く。簡単な例だが、入門してから短期闇に技術が早く上がって行く人もあり、同じ時期に入門しながら技術の本筋に入るまで長い時間のかかる人もある。短期に上達して行く人をRとすると、この形の人は数力月たっと早くある地点に達し、将来性のあるひらめきを見せるようになる。本人は当然、得意であろうし教える方も期待をかけるようになる。ところがこの第一の地点になると、進歩がゆるやかになり今までの積極性はなくなり、同じ地点をぐるぐる廻りするという様な状態になることが多い。これが第一のスラン。フである。Rの鈍行型の人は歩く速度がゆるく進歩にひまどるが、徐々に登り坂を登って一カ年ほどもたつと、漸く―つの丘に達することになる。ここで先進したRとふたたび同地点の位置に達することとなり、再度同じスタートラインにつく、といった場合がよくあるものである。習うことは競争ではなく、早く進歩することが未来の大成を約束するものではない。しかし、以上にあるような形をとって行くことが多く、これは普遍性のある一例である。また以上の二つとは別な形をとって上昇する人がある。習いはじめてから理解と技術が優れており、年月のたつにつれて上昇線をずんずんと登って行く人、スラン。フもなくひたすらに登って、かなり早い速度で高い位置に達する人、こんな例は殆ど少ないが、稀にはあるものである。以上、三つの例をあげたが、いけばなを習う人には男性と女性の区別がある。男性の場合を考えてみると、いけばなというものが本質的に女性中心の趣味教薬であることが一般的である関係上、男性で特にいけばなに興味をもつ人は、男性の中でも数少なく、その数少ない男性は最初からいけばなに対する熱意も高く、いわば男性の中でも選ばれた人達であるから、いけばなに対する理解と研究態度が高いといえる。そんな関係から同列に出発した女性とは、はるかに進歩も早く、技術の上昇も早いというのが一般的な例である。ただここに欠陥のあるのは男性の場合、持続性が少ないということである。これは身辺の多忙によることと、社会生活の関係もあって女性のように長期にわたって花を習うような時間がない、ということにもよるが、その中から特殊な恵まれた人達は積極的な研究をつづけて、窮極的に大成するといった人達が、数少ないけれどあるわけである。これも―つの形といえるだろう。以上、現実の例をあげてみたのだが、ここでこの問題をいけばなの範囲から超えて、一般的な学問の場合、運動競技などと比較して考えてみるのも無駄ではないと思うのである。私は花道家としてこのような広汎な問題に対して知識も少なく、あまりにも大きい問題に対して意見をのべることは僣越だと考えるのだが、単なる私見として述べさせて欲しいと思つのである。学問、芸術、運動競技などいずれの場合も、個人の能力が基礎となることは当然である。その上にその個人の研究と努力とが結集して上昇するということになるのだと思う。運動競技などの場合はこれに体力というものが加わることになると思うのだが、その勉強期間或は練習期間において、その個人の努力はいうまでもないにしても、能力ののびる時期、時間について、かなり普遍的な例によることが多い。この一般的な例(芸術及び運動などを含めて)を通じて考えてみると(第1期)基礎習得期この期間は男子は急速に上昇する女子の上昇は緩漫である。(第2期)技術研究期この期間は男女ともにスラン。フ(―つの壁につき当って、同じ場所にさまよう)に入る期間。スラン。フの長い人、短い人の差違が生じる。(第3期)このスラン。フを抜けると、女子の上昇率は高くなる。男子はこの時期の上昇率は緩漫になるのが一般的である。(第4期)第二次のスランプに入り、このスラン。フはかなり長いのが特長である。この場合は技術の疑問よりも精神的な要因によることが多い。これが「。フラトーの高原」と称せられる期間である。この場合、男性はこれを克服する力が大きく、比較的早くこのスラン。フ状態を脱出して上昇線につくことが多い。女性の場合は、一般的にはこの克服力が少ないために同じ位置にとどまっている期間が長い。しかし女子の中でも、精神力の強い人、思考力のすぐれた人は、比較的早くこの状態を脱出する。(第5期)このスランプ状態を脱出すると、男性は伸び率が強く急速に上昇する。女性の上昇はその後、緩漫であることが普通である。ただ注目されることは、男性は脱出した時点において「高原」以前に落ち込むことが多く、女性の場合は緩漫ながら順調に上昇する場合が多い。以上、芸術、スポーツなどの場合にみられる進歩上昇の一例である。これを「運動曲線」といい、また一般的には「行動発達曲線」といわれている。(次号につづく)プラトーの高原10

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