テキスト1974
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専渓今日、テキストの写真をとりながら、やがて夕刻になったので写真の小西氏といっしょに茶の間の小部屋で夕食をしながら、雑談の間に、さて次はどんな花を活けようかと思いつつ、ふと窓ガラスを通して見えたのが底の植え込みの竹の葉であった。黒竹の株が頭を揃えて植え込んであるのだが、垂れて群がりのある葉が静かな西協をうけて、その光が実に美しい。早速ながら思いついてその竹の小枝を二、三本切りとって、手早く足もとを煮て水揚をし、さて、あしらいの花はなににしようかと、考えついたのが、水仙、洋蘭の二種であった。今日は水仙が主題になっているので、水仙を高く入れ、シンビジュームの褐色の花を1本、それに並立させて、下部に竹の葉を軽く挿し添えて作ったのが写真の瓶花である。着想も早いし活けるのも実に早かった。花器は白い上ぐすりをかけた長い壷゜出来上がってみると、竹の葉から思いついた花であるだけに、なんとなくのびのびとしてとらわれのない花である。風雅というものは、このようなとらわれのない心の中から生れるもののようである。考えて活ける花もよい。考えて考えて技巧をつくす花もまたよいが、時として、ふと思い浮かんだ舒想をそのままいけばなに作るというのもよいことである。活き活きとした新鮮な若想を具体的にいけばなに作りあ切るということは、溌測とした活気のみなぎったいけばなになるに迩いない。文芳も同じである。思うまま話しかけるような文翠は、読む人にも自分の心をそのまま伝えることが出来るものであると息う。黒竹の菓毎月1回発行桑原専慶流編集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元1974年2月発行No. 128 いけばな

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