テキスト1974
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よいいけばなを活けても、それをどこに飾るかということについて注意せねばならぬ点が多い。もちろん飾る場所によく調和するいけばな、これが必要なことで、活ける前にその世場所を考え花器が調和するか、大きさはどうか、部屋の装飾によくマッチするかは、当然考えることではあるが、大きいのがよいことではなく、小さいいけばなであっても気のきいたびりっとしまりのある花が、部屋を引き立て見る人にも好感を与える場合が多い。私達が町でよく見かけるのだが、おけいこ帰りの娘さんが花包みから花をのぞかせて歩いているのをみかける。花包みの中にある花は習ってきた材料なのだが、この場合、その花の配合などによって、教えている先生のレベルがよく解るものである。笹の枝を銀色に染めてあるもの、木の枝に加工品の添加物をくっつけたもの、染色の材料など、いまだにあんな材料を生徒に使わせているのか、と思う様なのを見ることがある。趣味はいろいろであるが、習う人達はいけばなというものはこんなもの、とでも思っているのだろうが、よそごとながら気になる。もちろん多くの人逹の生活環楼や教捉の程度によることであるから干渉無用ではあるが、自分のグルー。フだけはそんなことはしないように望むのである。それが新しいやり方だと考えているらしいが、真実の新しさというものは、そんな薄っぺらなものではない。どんな意匠的ないけばなであっても、高い教捉の中で理解される、新しい美のあるもの、具体的にいいにくいが、品格の高いいけばながよい、ということになる。古くさい進歩のない上品さはよくない。今日明日の感覚を作品にあらわそうとする、そんな作品がよいということになる。それがためにはたえず反省が必要であり、誤った自信は「ひとりよがり」ということになる。家庭に活ける花さえも、そんな考え方で作られることが必要である。大小にかかわらずはっきりとしたヒントの定った花をお入れなさい、ということである。R が感じられる。これに白椿を添えて,まばらな枝と葉と花によって,古い日本画にあるような強くするどい感覚のある瓶花である。横に長くのびた花形に特徴のある作品である。R さびた古木の梅,こけつきの幹と枝に雅趣かなり大きい瓶花である。松と藤の自然木を左右に入れ,その中心に白菊を入れたが,雄渾といった感じの作品で,梅のこけつきの幹をあしらって古雅な感じを出している。栴白椿R 松と藤の実,大輪の白菊を添えて,これは16

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