テキスト1974
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『i最初に入ったのは妻籍だった。峠へ向う山坂の小部落で、止11は木IYIFl街道の重要な宿場であったらしいが、今は平凡な山間の町という状景で、わずかに残された江戸時代の家屋を保存して観光裕源にしている、といった感じの町である。それでも街道添いの両側には昔の旅篭や記念物が保存されていて、わずかばかりながらそのころの情紹がしのばれるといったところ。それでもさすがは宿場町の面影があり、何々屋と古いたかけ行灯の旅篭屋の店が保存されており、屋並も昔のままのものがあって、私の目を楽しませてくれた。早述ながら持参の花器をとり出し、その附近の農家やみやげもの屋へ頻みこんで、表庭や垣根に咲いている花をわけてもらって、道路で花を活けるということになった。これは全く、写真を作ることであって、いけばなからは脱線した行動かも知れないが、古い宿場の恰紹といけばな、と題をすえてみると、いささか文学的興味もあって、これも趣味の中の一っと思いながら、通りすがりの花の旅行者として、我を慰めるのであった。思いつくままの花の旅なので、十分のことは畠来ないが、ひろく「街頭いけばな展」という様に抑しひろげて衿えれば、この素朴な風景を背景として、本格的な街頭いけばなを作るのも面白いかも知れない。いけばな展の―つの企画かも知れない。倉敷などでやってみたらと、そんなことを考える。さて行きづりの街追で花を活けるということは、落若きが悪くしっくりしないものである。とにかく趣味であろうが変った人達があるもの、という感じで見られながら、とにかく花を活けて小西氏が写真をとる。写真にある様に、これは絵になる、と思うところに腰をすえて花を活け写真をとった。その他の写真もあったがページの閃係もあって、その一祁を掲載することにした。Fヽ10 心裕\粘K

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