テキスト1974
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木曽は広い。その中心に木曽川が流れ、東に駒ケ岳、西に御岳を望む広原地帯である。その南部の馬籠妻籠、三留野から木曽福島、奈良井、平沢、塩尻まで、いわゆる中山道を通って信州松本に至る。江戸時代は天領といわれ、この地方の山林資源を管理した歴史の土地である。馬籠妻籠は木曽に入る街道の宿場町で、その昔ながらの風景情緒が今日の私達に大きい魅力を感じさせるのだが、さて、私達が訪れたこの日は(日昭日をはずして行ったのだが)、この街遊ぞいの古い町の中に、年若い人達がいっばいという状景だった。先日のテレビ放送で、作家の佐藤愛子氏が、このごろどこへ旅行しても青年男女で溢れており、おとしよりの姿は全然みかけられない、とのお話だったが、全くその通りで企敷でも飛騨の裔山でもその他どこへ行っても同じような風景が見うけられる。私達はこの古い街道を歩いて、昔の土をそのまま踏みたい希望だったのだが、なにしろ遊びの旅でもなく、それにわずかばかりながら花器や花材を持っているので、とにかく中津川で自動車の交渉をして、夕刻まで運転手につきあってもらうことにした。Lロず』 ti旅篭徊のかけ行灯をかけて,江戸時代の恰紹を見せている。車「の深い瓦屋根,杉皮で屋根をふき,石をおいた家もある。まつしまや,さかもとや,I屁峨屋などコンクリートの道路には魅力がないが,崖下を曲りくねってついている旧道の土の道に古い旅篭があって,参勤交代の列が通る,その情景が思い起こされる。,

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