テキスト1974
120/147

八月号の雑誌「太陽」で棟方志功氏の作品集を見て急に東北旅行を思いたったのだが、実際に見た「ねぶた祭」のカーニバルの中に、思いきや棟方先生が「名誉市民」と書いた提灯を下げ、たすき、はちまきの勇ましい姿で参加されているのをみて、快だった。青森から秋田市へ行き、男性的な祭りを見、さらにところをかえて仙台の「七夕祭」まで、数日の間に有名な三大祭を見ることが出来た。帰途の車中において骨格たくましい東北の祭りの感動をつくづく思い返したが、私なりのいけば彼の芸術のあり所を見る様な心地がして愉ふー.こ。な作口叩に作って、どんなものになるかは解らないが、なにかをあらわし得るかも知れないと模糊とした野心を抱きながら京都へ帰りついたのであっあの感動の党めないうちにと思いながら、ここに掲載の作品を作ったのは8月20日すぎだった。「竿灯祭」の「ねぶた祭の印象」ということになるのだが、これは普通のいけばなではない。竺何か―ばなであらわそうとする場合、花の材料だけで作り得ることもあるが、時として花材以外の装飾性のある材料をつけ加えて、その感動や、また風雅つの印象を土台にしてその気持ちをいけな情緒をあらわそうとする行き方が、古い時代(江戸時代にこの形式がかなり多く見られる)から、今日の花道の一部でも行なわれている。い意匠は作る人の心のあらわれであり、その工夫も美術的である場合もあるし、また場合によっては嫌味をともなう下品なものも出来ることになる。意匠の花というものは、この辺が大変むずかしいのだが、とにかく、ここに掲載した作品は30分ほどで作った青森の祭の印象なのである。白梯の木と東北地方の民芸玩具「なまはげ」の面を糾み合せて、強い感じを出そうと考えた作品である。( 専渓8 ”-「ねぶた祭」の印象

元のページ  ../index.html#120

このブックを見る