テキスト1974
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c柴栗(しばぐり)テッボウユリRノリウツギは山に自生するかんほくである。初夏の花だが夏枯れて褐色の集団花の中に白く淡い褐色の花が枯れ残って枝に罪がりつく形は、まことに風雅である。写真の瓶花は黒い花瓶にノリウツギとテッセンの白花の二種を、枝の形にまかせて少し垂れる花形に作ったか、この瓶花を作るとき、花屋で買ったままのひとたばを、一本一本と離さずそのまま花瓶に入れ、枝を少しさばいて残りの二、三本を添えて挿した、まことに気軽な調子の瓶花である。一本一本とあつめて形を作るよりも面白い場合があるし、生花の様にひともとになっているのも、また変わった調子といえるだろう。これも一っの砕想である。テッセンの緑の葉と白い花。褐色との調和かよい。前方の下部に二つ並んだテッセンの花、この配仰も而白い。褐色と白と緑の配色は、上品に見え落若きが感じられる。黒い花器がこの花を一屈引立てていると思う。これは八月、九月へかけての花である。Rトルコキキョウは七、八年前から花屋の店頭で見るようになった新しい花である。七月、八月の盛夏の頃に咲く花だか、多肉質の葉をもつ水楊のよい花で暑い頃でも一週間は保つ日持ちのよい花である。はじめ出はじめた頃は形の悪い使いにくい花だったが、最近は栽培もよくなり淡紫色の花も美しく細い茎に群がって咲く形は実に可憐という感じが深い。この花を活けるとき、つぼみをすっかりとり去って開花だけにして活ける。っぽみをつけておくとこの花のよさがなくなってしまう。これが条件である。咲いた紫の花を数多く揃えて活けることが大切である。水揚もよくその色が他の花にない明るさを持っている。写真の瓶花はトルコギキョウ10本ほど、アジサイの残花2本。アジサイの花はすでに花季をすぎて、残りの青色と枯れがたの褐色とが交わって緑の葉とともに渋い感じの材料だが、トルコギキョウの明るい紫色と、同色系統の配色がよく静かに美しい配合である。庭のかんぞうの葉を二株ほど切りとって添えたが、これもこの瓶花に風情を増すことになった。花器は淡いチョコレート色の変わった形の陶器だが、この陶器の作者西川清翠氏が焦形水雷の部分を写して形を作ったという、而白い形の花器である。c栗と白百合の瓶花。九月になると山裾の高原地将に栗の実が大きくなってくる柴栗という野生の粟だが、長い夏が終わって秋風のたちそめる頃、風にのって柴栗の実がばらばらと音を立てて落ちる。秋雨の後の朝などに栗拾いをするのも山村の情緒であろう。私達がいけばな材料に栗を活けるようになるといよいよ秋である。゜ハンパスの穂もひらくであろうし、萩の花も満開になる。写真の瓶花は栗とテッボウユリの取合せ。花器は高山から送ってもらった手附きの土器。山村で炭火を運ぶのに使う容器だという。花器と花との配合もびったりしていると思っ。手の部分と花器の内部を少し見せるようにして活けた。5

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