テキスト1974
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c淡紅色の蓮のはな2本、けいとうの枯花は淡い褐色である。鉢植のカラジュームの葉は白と緑の美しい紋様がある。この三種を白い手附花瓶に活けた。変わった配合だけれどよく調和している。蓮の花は仏くさい花だが見方によっては茎の直線といい、花の形といいモダンな感じをうけることがある。この瓶花にはそんな感じで蓮花を使ったのだが、カラジュームの葉との色調、それに加えたケイトウの褐色の枯ればな。色彩的にも美しく形の配合も中々面白い。そして出来上がったこの瓶花からは、新鮮な明るさをうける。蓮の花、こうぽねの黄色の花、椿の紅色の花など日本的なしずかな感じの花だが、その他の日本種の花もその個性をよく見つめて、これまでの用い方をすっかり変えて使ってみるのも新しい研究といえるだろう。すいれんの花や、こうほねの花も葉を添えない活け方も面白いと思っ゜このごろ一般に見る大輪菊は花も美しく葉もたっぷりとした緑である。全く品質優良の菊ではあるが、風雅な味わいというものが全然ない。茎も柔らかく葉も葉肉が厚くてやわらかく、水分が多い関係で水揚がよい、ということになるのだが、例えば古い土佐絵にあるような、水墨画にある菊のように、気骨隆々とした菊の品格というものは、すでに失なわれている。十一月の末になって菊の葉が黄葉から濃い紅色に紅葉して、曲がったくせのある菊を、芦の枯葉などと活けるあの風雅さは、今日の菊では望むべくもない。自分で栽培される趣味の人は別として、花屋の菊を買う多くの人達は、戦前の頃の自然のままの風雅さを菊の花から感じることは少ないのではなかろうか。そのころ「時雨」しぐれ、という中輪の菊があった。黄褐色の雅致のある菊で生花にも瓶花に使っても品のよい菊だった。十一月の末になると下葉から紅葉して枝振りもところどころ節があって返り咲きの桜や、山木の紅葉などと取合せて活けると品かよく雅趣かあって、晩秋の菊の代表的な品種だった。この菊の終わるころ葉つきの茎だけが残って、私逹は最早咲く見込みのないつほみと紅葉の葉を瓶花に活けて楽しむといった、そんな趣味かあったものである。今日の菊は外見のはでやかな洋花の趣味とでもいえるだろう。自然に栽雄ざれる菊の雅趣は、ちょうどこの頃に盛んであった生花や文人趣味の材料として、適当な姿形をもっていたといえる。真実の菊の味わいを楽しんだ私達は、今日のぬうぽうとした菊には興味がもてない。3 菊の雅趣....

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