テキスト1974
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八月の花というと特徴のあるものが少ない。高い山にはちょうとこのごろ咲く花か多いのだが、花歴で見る花には百合、キキョウ、オミナエシなどの他にめぽしい材料の少ないころである。そこで、ダリアということになったのだが、これも夏咲きの花が終わりとなっており充分ではないが、花自体に特徴をもっているので、とにかく九月号のテキストはダリアということにした。まだ賠い朝方、うつつともなくカラタチのトゲトゲを活けているのを夢の中でみたのだが、カラタチとダリアも面白いかも知れないと、その日の午前中にとりに行くことをきめ、さてカラタチはどこにあるのかと考えてみると、このごろはカラタチの垣根などという古風な景色はほとんどない。ようやく考えついたのが、上賀茂のある旧家の土塀にそうて50メーターほどもならんでいるカラタチの垣根である。午後早々、車に乗って上賀茂へ行く。親切にも主人が切りとって下さったのを、市に桔んで持ってかえる。ダリアは花犀に頼んでおいたのだが、季節がおそいのか、種類も少なく花もよくない。とにかくその中からよさそうなものを選んで、ここに掲載したような「ダリアのいけばな」を20作ほど活ける。午後三時から、午前三時まで、いつものことだが、次から次へと活けて写哀の小西氏が伽彩して行く。考えている時間もないのだが、調子の変わった作品、温和な作品をとりまぜる様にして活けて行く。それでも恨れたことであるから、必要な作品の数だけ祈け終えると、ちょうど材料もなくなるといった調子で、時間もおよそ午前三時ごろになるし、毎同の通りである。テキストの写真撮影には予定というものがない。いつも花材を見てから花器を選び、活けはじめてから花形を定める。そのうち面白い形のものが作れていくといった調子である。c R謀い紅褐色のドラセナと紫白色のダリアニ種の盛花。ドラセナは中心の花軸から菜が左心前後に出ている形のものだが、平凡な形のもので変化に乏しく、ことに花屋からくるドラセナは雑種のものが多い関係からか、一屈面白くない材料に思える。なんとか工夫して変化をつけようと思い、一本の茎からム方へ出た2枚だけ残して、その他の葉をすっかりとりさり、その棠を足→ もとへ挿した。別の一本も同じようにして、ほとんど葉をとりさったのだが、こんなにすると一茎子の盛花を作ることが出来た。まとまった形のドラセナの様な材料は、あまり形が出来すぎていて面白くないものである。それをなんとかして変化をつけようといろいろな工夫を加えるのもいけばなの技術であるに2枚の葉が思うように使えて、変った調7 令ど若松の緑にダリアの紅といの花3本,叩純な花だが,はっきりとした色が災しい。

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