テキスト1974
10/147

)種汰9Lr,..9i.i; !+'く(生花白椿を竹花器に活けた。椿は葉の群がっているのが普通なので葉のとり方が中々むずかしい。少し老木の椿の枝振りのよいものを選んで活けたが、こんな調子のよい枝は中々珍しい。真の枝の曲がり具合といい、留の流れるように流暢な枝、副の立ち枝、どれもが適当な形をもっていて花型をよくしている。無駄な枝葉をかなり多くとって、褐色のみきと枝をよく見えるようにして、まばらな枝線の変化の引き立つように活けたが、ことに留の曲線の形がよいと思う。株もとから出た留の枝の美しい見せ方、ころに枯淡ともいえる技術がある。こんなと津山市から人形峠へ車を走らせたのは十一月の上旬だった。車の窓からあわただしく見つけたのは鈍い紅色の「まゆみ」の実であった。脳家の桧の樹の陰に、渋い染色のまゆみの色をみつけたとき、なんとなく心にときめきを党えたのだった。人形峠の山路を数キロも走らせて、すすき原の中にどこまでも続く紅葉の原野を一時間ほども行っただろうか。人形峠のウラン採掘工場をみて、山間のところどころにある潅漑池の畔のいくつもを迂回しながら、ふたたび麓の村に行きついたとき、ようやくまゆみの木の農家の前に車をとめることが出来た。素朴なつくりの槃屋の軒に押しかかるようにして、まっ赤に見えるまゆみの樹、王朝時代の狩衣にあるような古さびた紅色の実、高さ2メーターほどの権木だが、形といい色調といい、日本的な気品のある木だった。傍に夏の草花のおおたでの株がひと株あって、これも色あせた紅色の実が群がって垂れており、黄緑の葉がおおいかぶさるように紅色の実をつつんでいた。しっとりとした露のしたたるような農家の庭だったが、私は時を忘れるように、この二つの木と草の美しさに見ほれたのだった。そしてまゆみつき弓ときをへて今は昔の業平の形見の直衣手にふれてという謡曲「井筒」の詞節を思い起したのだった。6 白つば言... ... ヽべ~~ .し‘r)19‘Iヽ・・ふ••••

元のページ  ../index.html#10

このブックを見る