テキスト1973
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かきつばたが終って花菖蒲の咲くころ、ちょうどシーズンを同じくして、笹百合の花が出はじめる。ササユリの花をみるようになると、春から初夏へのうつり変わりをしみじみと感じるのである。楓の青葉にササユリの調和は、いかにも清風を思わせるような自然の情趣といえる。陽あたりのよい低い丘に、すすきの若葉や雑草の中にささゆりをみつけることがある。京都の東山や牛尾山あたりの近い山でさえそぞろ歩きしていると、草むらに笹百合の花が、一輪一輪とところをへだてて咲いているのをみかける。山でみる笹百合はまことに清浄なるうるおい、風にゆり動く姿はやさしく美しい。これに比較すると「ためとも百合」は花も大きく、形も強く雄大な感覚に満ちている。ためとも百合は別の名を「吉野百合」ともいって、吉野・大峯などの連峰に多く咲く百合である。七月に入ると吉野下市から洞川へかけての渓谷に多いが、同じころ鬼百合の朱色、姥百合のにぶい白色の花が咲き、その中にタメトモ百合が山狭の川辺に群がって咲き、太いものは高さ2メーターにも及ぶ。一本の花茎に三十輪ほどの花をつけているのも珍しくない。花のシャンデリア、という感じがする。そしてタメトモユリの雄大な感じをしみじみと味わうのである。これに比べて姥百合はその名の示すように、薮影や樹木の下の隠地に咲いて、手指ほどの太い茎が草むらから登って、静かな青白い花を咲かせている。これも花屋では見ることのできないふっくらとした夏百合の姿をみせているのだが、まことに「うばゆり」とはその姿をよくいいあらわした名だと思つのである。盛夏に咲く「タカサゴユリ」の花に似通っている。ユリは花を観賞することと共に、百合根を食用とすることが元禄時代から行なわれたらしく、百合の根は鱗形の球片が重なってできるから、百片合成の意が言葉になって「百を合わせる根」すなわち「百合」という字が使われはじめた、という説もある。百合は日本原産の花だが、主として鹿児島、長崎、徳島、新潟などの各地に多く栽培され、これは球根をアメリカ、オランダ、フィンランド、イギリス、西独などに輸出される。Rこれは有出焼の磁器の壷である。松江地方に旅行したとき、市内の古い美術店で買ってきたのだが、白地に藍絵の朝顔の図柄が達筆で描かれていて気持ちがよい。大体、花の図案のある花器には花が入れにくいといわれる。しかし、描かれた花の絵に調和させるような花を入れ、陶器の絵も一体となるような考え方で配合すれば花の絵壷も―つの役目をはたすことになり、いけばなを引き立てることにもなる。写真の壷には朝顔の写実画が描かれており、花はタメトモ百合を2輪、淡泊に入れて、花器も花も引き立つ様に考えたのだが、つまり、描かれた朝顔と百合の花が―つになって、花の配合を作りあげているということになる。4 R タメトモユリ

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