テキスト1973
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30分というとよほど手ぎわよくやらないと活けらいとおしむ思いである。(専渓)テキストの花を活けながら、常に思うのは、いつも時間に制限されて厚味のある花が作れないことである。テキストの前号をふり返ってみて掲載写真をみると、大体においてあっさりと美しい花を活けているようである。いけばなの中には淡泊な好みのものもあるし、どっしりと厚味のある作品もある。厚味のある作品は活けるのに時間がかかるのは当然である。のテキストの花は一賄30分程度が普通だから、あまり手のこんだ花は入らない。また一方から考えると、実際に練習する花はあまり分屈も多くなく、手のこまない程度の花がいちばん多いと思われる。そんな点を考え合わせても、この程度の分景の花が実際練習用として適当でないかと、そんなことを考えつつ活けつづけている。たとえば、この。ヘージの生花三作である。この三つの生花もそれぞれ30分程度で活けた花だが、れない。写真が出来上って幾度となく見なおしながら、なんとなく軽っぽい磁じを受けるのだが、実際に皆さんが活けるのには、この程度がいちばん適当だと思うと、まぁ、これでいいのだと自分で自分を納得させている次第である。もちろん、軽やかな花も望ましいし、重厚な技術的な花も必要なことはいうまでもない。したがってこのテキストにもそんな方面の作品を掲載すべきだと反省しているので、追々時間をくりあわせて、そんな方面の研究作品を掲載しようと考えている。その月のテキストが出来上るたびに、見返して反省し、来月号はどうしようかと考える。それでも、このテキストをはじめてから10年をすぎた。ずいぶん書きつづけたものと、すぎ去った山河をc c二管筒(にかんづつ)の生花という。竹筒を二つならべて大小の花を対照させて調和をとる。この写真はすす竹(褐色)の花器にカンチョウボクとカキツバタの二種である。左の花は大きく右勝手、右の花はやや小ぶりに左勝手である。左の花のカンチョウボクは副を長くした副流しの花形、右の花のカキツバタは小さく真の花形である。大小の花形の配合、木ものと草花の配合、草(そう)の花形と真(しん)の花形との取合わせである。生花の中でも意匠的な花形だが、取合わせをいろいろかえて活けると中々面白い。技巧が過ぎると腺味になり品格が下がる。この辺が生花の注意すべきところである。3こ,かんちょうぽくかきつばた(生花・ニ管筒)

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