テキスト1973
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l-i第一日のその夜、「日本庭園のお話」を重森三玲氏から聴く会があった。桜のいけばなにかこまれた一室に集まった会員五十名ほどが熱心に講演を聴いたが、この夜の趣味の会を一層効果的にするために、電灯を消して石油ラン。フの照明具をつりさげ、その静かな光りの輪の下でお話をきいたのだが、まことに印象の深い夜会だった。そのころはすでに石油の配給もあやしくなって、鯨油を使ったのだが、うす暗い光りと黒い煙が立ちのぽるラン。フの下で、古い庭の話をきく感銘は、現実の乏しさを越えて、それにまさる盟かさを、会風の心の中に植えつけたものと考えられるのであった。たと思ったのだが、今日、私の手許に残っているのは十枚ばかりである。生図」の一部だが、ちょうどこのテキスト四月号のために、皆さんにみていただくことにしたのだが、記録というものは面白いもので、いつまでも心の中の記念塔として、そのときの柏景を思い起すことの出来るものである。約二十数種だったが、千島ざくら、合湾ひざくら、夕陽、宿院、青葉ざくら、一葉ざくら、なその翌日、私は花席の桜のいけばなを一っづつ画にかいて残すことにした。十五、ハ枚かいここに掲載したのがその「桜のいけばなの写この会のために佐野氏からいただいたものはど、その他に著名な名品が多かった。一種ずつ品種名の札をつけ、瓶花盛花として調和のよいあしらいの花を添えて活けたが、雅趣のある日本種の花をつけ、又、洋花のしずかな慇じの花も副材として添えて活けた。浪い好みと重厚な雅趣、華やかな美しさの中にある静けさ、そんな感じの作品どもだったと思い返している。私のこれまでには、永い年問いろいろな花展をひらいたことがある。壮大な大作をならべて腑催した美術館の個展もあるし、明るい洋花を主にして活けた花展もあった。しだのような自然趣味の植物を主材にした花展を高闊屋で削催したこともあった。した京都大丸の花展、大阪皿庇の花炭、数多くの炭屁会をひらいたが、その中でいつまでも忘れることの出米ない想い出が残っているのは、この「桜を活ける生花の会」である。この会は「花の自然と風雅」「ならべてみる」「活ける人も楽しみ、見る人も楽しむ盟かな時間」を得た、そんな美しい花の会であった。おそらく私の花のI狂の中でいちばん感激の深い花展でないかと思っている。いけばなにはいろいろな咸心忙の恨界がある。仏統の占雅と形式をもっ立花や生花、そしてその中に自然の草本の化々とした写実を常にともなういけばなの美術。瓶花盛花の新鮮な視丈を作品にする今日の花,即卯的な而化さをもつ意貯花。明ろく新鮮なアイディアを考えつく考案の花、いずれにしても美しく興味の深いものといえる。私逹、いけばなを志すものは、どんな以合にも、それぞれが文しく俊れたいけばなとして、高い価値のあるものを作らねばならないと名えるのである,前衛作品のみを選んで陳列寸利の桜をi「桜を活ける会」作品写仕図2 (花の名白砂)しヽた。古い本にはさんだ押しばなのさくら、褐色の中に白くうすべにの色がほのかに残っている。書架の奥からとり出した桜の瓶花図にはそんな想いがひそんで11

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