テキスト1973
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ラッパスイセン口径20センチのサラダボール。白地に濃紺色で強い悠じの図案があり、新鮮な山木の実必じがする。ラッパスイセンの白い花3本、紅褐色の山木の実、葉をとって挿す(サラダボール先月号につづいてこの号も軽い意匠のいけばなを作ることにする。この前にお話したように、こんな傾向の作品は花器によって感じの生れるものであるから、まず花器になるような面白いものはないかと、京都市内の百貨店や趣味の店をあるく。百貨店の花器売場というのは、案外つまらないもので、特徴のある面白い趣味の花器も少ないし、きまった形の壷、悪趣味のどぎつい図案の陶器やガラス器。もちろん仕入部の人逹も売場の責任者も、いずれも花器や陶器のわからない人逹なのだから無理はないと息うが、なんとかならないものかと買う人の身になって考えさせられるそれでも、店の人の気づかない肋品の中に、私にとって面白いと思うものがあるもので、花器ときまらない芦佑物に偶然とこれはと思うものを発見することがあるものである。特速売場という場所には時として珍らしい感じのものがある。今度も、三つの百貨店を廻ってそのうちのA店とB店で15個ほどさがし出して、とにかく、すぐ花を活ける予定なので、大きい包装の箱を車に柏んで持ってかえる。二人がかりで買い出しに行ったのだが百貨店廻りもなかなか疲れるものである。一般の店も注意して見に廻るが、脱品の数も少なく、今度のように特妹なものというと中々みつからない。もちろん、花器の本場の五条清水辺に行っても、大体きまりきったもので収獲のあろうはずもない。と、いうような次第で、考えてみると必要にせまられて買いに行くという考え方が間違っているのだが、多忙な私にはこれもいたし方がない。理想的にいえば、花器を買うのは必要なときに買いに行くのではなくて、むしろ必要でないときに、のんびりと好きなものを見つけ出す、というのがいちばんよいものが買えるし、値段も案外安い掘り出しものが買えることになる。あわてて買いに行くのかいちばんよくない、ということである。ところが、先月号のテキストにもこの月号のテキストのためにも、こんなに瀬戸際になって花器をさがしに行く。どうも矛盾だけれどこれも多忙なお家の事情でいたし方がないと思っている次第である。このごろ、家庭で使われる用具の中に随分変わった形のものがある。ことに最近は趣味のデザインによる台所器具、室内装飾品など、それを応用していけばなに使ったら、と思うものが多い。新しい感じのある応用花器ということになるのだが、そんな傾向の店が出来てきて、若い人辻にうけているようだが、全くそんな装飾器具が望まれるのは当然のことと思うし、段々こんな傾向の器具類が一般的になるのではないかと思われる。3 3疇貪一、000円)@

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