テキスト1973
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童話的ないけばなというものがあるなれば、この写真のようなものがそれにあたるのであろう。こんな調子の森匠花にはっきりとしたジャンルがあるわけではないが、一種の思いつき、とでもいえる程度の即興的な軽い感じの作品である。百貨店の玩具売場を歩いているうちに、ふとみつけ出したインデアンの頻、赤、黒、褐色、白色、金色のデザインが中々面白いし、筒形の上部にガラスのコップを入れて花を活ければ、なにかものになりそうだと買って帰って早辿、花を挿してみると案外面白い。ボビーのオレンジ色と淡黄色の花を軽くならべて挿し、左右にひろげてみると頭の髪飾りのようにも見えて、これこそ蛍話的な花といえるようなものが出米上った。粗末な紙と布との玩具だが、原色を配合したデザインが―つの必じをっくり出しており、簡単な形の中に味わいがある。百貨店の玩具売場を歩いていると中々面白いものがある。花器になりそうなもので、JJC具だけれど花を活けても面白いと思えるようなものがみつかるものであ童話的ないけばなる。いろいろな形のものを手にとりながら、これにも花が入る、これにも花が入るなどと楽しみながら、次々と選択する。花を活けるという条件があるのだから、中々適当なものも少ないが、案外、掘り出しもののように見つけ出すことの出来るのも楽しいものです。いずれにしても玩具など、花器としては耐久力のないものだが、一、二回使えば結構、というのであれば安価で面白いものを見つけ出すことが出米る。意匠は作る人の心の表現であて、その人その人によって考える程度も異るし‘―つのものに接してそれを美しいと慇じる心、而臼いと感じるその眼と心。個人差によってちがうものであり、椋準をつけることはむずかしい。写頁の玩具のように簡単な安価なものでも、用い方によって面白い感じを出すことが出来るし、考えてみればいけばなは、室内装飾として家庭の巾に楽しいふんい気をつくるものであるから、簡単なこの玩具のいけばなのような思いつきも、いけばなの中の―つの考え方といえよう、それが単なる遊びではなく、その中に美術的な考案がある、というところに価値をみとめられることになる。即制的な息いつき程度のものであっても、作る人にとってはたしかな美術的な考え方が基礎となってくる。とんなに考えてくると、簡単な意匠さえも中々むずかしいものであることがわかる。百貨店の売場でこんな安価な玩具を買うときにさえ、それをどう使うかと考えながら買うわけである。高さ20センチの紙製の筒、上にコップを入れ中筒とし、それにボビーを軽い気持で挿す。足もとはそのままのつっこみ挿し、軽く左右にひろげて、茎の線のならべ方、空間などに注意しつつ、淡黄色オレンジ色の花を適当に配涸しながら、いけばなとしてのバランスの奥行、下方へさがる花などの調子を考えつつ形をきめる。なんとなく人っているようで花器との大きさや長短など、考えつつ茎をならべ花を配列する。ボビー一種(玩具五00円)2 っR

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