テキスト1973
32/149

「明るい咸~この月のテキストは、「明るい感じのいけばな」というところに主題をおいて編集することにした。いけばなの中にはいろいろな感じの作風がある。仏統的な形式、盛花瓶花の中でも、雅趣をともなう傾向のもの、この中には古雅な文人趣味と考えられるものもある。一般的に盛花瓶花といわれるH本謁の花、化活用具などを花熙に使って飾る応用花器のいけばな、その他にもいろいろな形式があるのだがじのいけばな」という、漠然としたいいあらわし方だが、そんな傾刷の作品も‘―つの考え方として研究する必要があるだろう。実際問題として、こんな傾向の作品は、重厚風雅などという日本的な考え方とは辿って、今日の生活の花として、ことに、若々しいフレッシュな考え方とあらわし方、意匠などが―つになって作られる、そんな傾向の花ということが出来る。ここに十数点の作品を作ったが、必ずしもこれがよいものだとは思っていない。というのは、作品というものはいけばなの場合でも、作者の生活や考え方、ことに年令などが影磐をもつものであって、えば、若い人達が自分の思うままに今日的な、いちばんすきな花を活けてこそ、それらしいいけばなが作れるということになるのだが、実際に理想的にいやってみると、地想やすき好みというだけでは作品になるものではなく、それにはいけばなのしっかりした技術がなくては、日分の少を作品としてあらわすことが出来ない、という条件がともなう。すでに立派ないけばなを作れる人は、すでに年令が砂くなっており、一般的には自己中心になって新鮮な今日的なものへの閲心が薄い、といえる。郎想的にいうと練逹の技術をもち、しかも現代慇覚によく通じる人、新鮮な美に刑解をもち作晶にそれをあらわしうる人、新しいアイデアを次々と住み出し得るような人、そんな特殊な才能をもつ人が唱まれるわけである。ここにならべた作品は、そんな傾向の作品だが、以上の様に考えてみると、私の年令と感鎚その他について、決してそれにふさわしいものとは息っていないが、わい杵さんのいけばなに対する知識を開発する意味において、その行く道をさし示すトもちろん、こんな傾向の作品は簡単そうにみえて中々簡単に出米るものではない。まず、花堺と花との選択、色彩と感覚と作品のアイデア、これになにより必要なのはすきとおるような美しい技術、ということにである。(専渓)2 、ッ。フライトの役目をつとめる。R モンステラデンドロビューム

元のページ  ../index.html#32

このブックを見る