テキスト1973
29/149

のおじさんが,人形をかかえて畦道を行く。古小祁から山陀線にのって綾部駅の二つてまえの駅が丹波和知駅である。大野ダムに近い山間の部落だが、明治初年、例波から仏わった文交は年を経過するにつれて盛んになり、秋の村祭に公演されるほか、遠く北陸地方にも招かれて出版公油をするまでになった。人形つかいの大夫も三味線も、すべて農家の人辻が、仕事の余取に出油して糸人劇団の和知文楽をつくりあげたのだった。「たんぽの中に建てられた天廂張りのぃ'名馴小屋に人ると、止面舞合に役者が並んでいる。ガス灯に照らされたその姿は、この批のものとも思えない美しさである。人形かな?と息った瞬間、ちらっと動いて特有のせりふが始まる。筋はわからないが節々の所作は子供心にも〈11点のいく所もあった」と幼いころの思い出を、小学校長の堀伊之助氏が話されている、)まことに、郷土の芸能は生花も文楽も、より悶かな料しをきずくうえのささえとなり、文化の発辰に結びっくものであろうJ髪飾りの足しいM菊が行く。',:'.:かなJ此村のメインストリートを人形師の愛芥に抱かれて抑合へ行く。いよいよ舞合がはじまる。2人の人形つかいは役所づとめのサラリーマソ氏。占典と視代の協和音。雪の農村に生れた人形芝居公民餡で太閤記I段目の稔古がある。人形つかい11

元のページ  ../index.html#29

このブックを見る