テキスト1973
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ものまで、デザインも中々凝ったものがある。かど松の種類解説はこのくらいにして、私がよほど以前にかど松を作ったことがあるので、そのお話をしてみよう。私の二十幾才ごろの話である。そのころ私の家は妹屋町御池にあって、この家は戦争の末期に強制疎開で壊された家だが、まだ平和な時代だったので、毎年歳末のころには、門口に松飾を立てることが習慣のようになっていた。その年は、はじめて私が作ることになって、に高さ2メーターほどの大きさのものを、入口の両側にならべて作った。12月28日ごろの寒い夜だった。軒も氷るという形容詞そのままのきびしい冷えこみの夜で、仕事をはじめるころに降りだした雪が見るみるまにつもって、まっ白という雪の夜だった。縄を地面に引いてくろもじの枝を1メーター程度の寸法に切り、横ならべに揃えてその上に日陰かずらの緑の草をひろげ、酒樽のかなり大きいものをのせて、作る要領で巻いて、容器を作り上げる。それを普通の状態に立ててから、2メーターほどの高さのそぎ竹という太い竹を三本立てて、に石を投げこんでしっかり留める、家の若い男達といっしょちょうど巻寿司を桶の中.. という手順なのだが、ちょうどそのころ、降りつもった雪で通りから私の家の裏庭までまっ白という情景となり、桶の中に投げ入れる石が全然みつからない。石がなければ留まらないという仕事なのである。よく考えれば木片の太いものを柚木にして留めることが出来るものを、年若い連中が集まっての仕事であるし、手足の感覚もないほどの寒さなので、一同いや気になって、もうどうにでもなれといった調子で、とにかく、石がなければ丁度幸い、降りつもった雪をかためて投げこめという次第となり、私達は附近の雪を集めてシャベルでがっちりつめこみ、それへ松梅などをつきさして、とにかく松飾の形を作り上げたのだ元日は朝日の暖かい晴天だった。私達の作った松竹梅の門松は当然、桶の中の雪がとけはじめ、あれほどがっちりと仕事をしたのに無残や、横倒しにたおれて見るかげもない。元日早々から縁起が悪いと、さんざんに油をしぽられたことは、当然とはいいながら、まことに邪恨きわまりない私の想い出となった。新年が近づいて松飾をみるようになるとこの腕白時代のすばらしい考案が思い出されて愉快になるのである。つこ。ナ薔薇の花は実に美しい。白い花は清純だし赤い花は情熱的である。淡<黄色の薔薇の香り、それはロマンチックな詩情が感じられる。これにひきかえ五月ごろ高原に咲く野いばらの白い花は緑の草の中に見えかくれして風雅であるが、なんなく春の名残りのように思われてわびしいものである。愁いつつ岡にのほれば花いばら、専渓という蕪村の旬にあるように、賎かな五月の花の中でも、野いばらの花は淋しく独り咲く花のように感じられて、一胴あわれである。野いばらは日本の野生の花であるが、外国にもこれと同じ種類の野いばらがあるらしく、シューベルトの作曲「野ばら」にわらべは見たり野中のばら清らに咲けるその色めでつあかずながむくれない匂う野中のばらという歌詞があって、この野ばらの清純を歌っている。日本の薔薇は古い時代から栽培されているのだが、「庚申ばら」「長春」などと雅名がつけられて、静かな日本趣味に調和する薔薇の花であった。古い襖絵などに描かれた蒋薇は、庭園の石の傍に咲いている、そ.... はなtヽろし‘ろ話(ばら単弁中菊)22

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