テキスト1973
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感じと一致すると思っが如何。(専渓)年末になると日頃花を活ける家庭では、必ずといってよいほど迎春のいけばなを活ける。また、常にはあまりいけばななどしない家庭でも、一般の商社事務所でもしきたりとして花を活けることになっている。一年の始めを祝う心で花を飾ることになるのだが、一斉に揃って花を活けることになると、当然、需要供給の経済関係によって花の値段が急激に暴騒するのも当然である。12月はじめに買ったころ菊一本が百円程度のものが、同じ品でも年末になると五00円にもなる。バラ一本が七00円程度まで値上りするということになる。いかにおかまいなくても、こんな値高いときには少し控え目にしておいたほうが賢明ではないかと、いつも思うのだが、さてそのころになると仕方なく例年同じように花屋へ御奉公ということになる。しかし、これも考え方によって、年末の景気づいているときは、淡泊な材料、たとえば若松、水仙、材料を活けておき、一月に入って落着いてから好きな花を活けると、よほど経費が違うということになる。こんな考え方はケチ精神かと思つのだが、万事は要領よくやるのが経済生活の原則、というものである。日頃は至ってぜいたくで最高の花をという桑原先生の話だから、一応はきくべきかも知れない。今年の年末には、私の新年花として「そしんろうばい」せんりょう(赤)すいせんの三種の瓶花を活けようと思っている。花器は青竹のずんどう切り筒(高さ9寸)にしてこの『一種の配合を軽やかに活けて清楚な感じの花を活けようと考えている。竹は切りたての新鮮な感じのものがよい。ろうばい(黄色)がなければ、普通の梅でもよいと思う。「枝つきの若松」「水仙」「せんりょう」の三種もよい配合だろう。派手な花よりも清新な迎春のせんりょうといった程度の普通のR深赤の大輪菊4本、オミナェシ五本を配合して、あい絵の花瓶に活ける。残り花のオミナェシは細いが色が美しい。濃い緑の葉が隆々としていかにも新鮮な花である。菊とオミナェシは平凡な取合わせであるが、花器の紺色の図案がはっきりとした色彩であり、黒ずんだ赤濃い緑、淡黄、紺色など、これらの配合によって、花形のほかに色調の新鮮さを感じることになって、なんとなく溌測とした瓶花を作ることが出来た。菊とオミナエジを篭や普通の温和な花器に入れたのでは、こんな感じは作れないと思う。この花器はスペイン陶器の植木鉢カバーで図案も面白いし、白い陶器に絵付けした紺色オミナェシの色もはっきりとして新鮮な感じをうける。瓶花盛花は形だけのものではない。材料の配合だけで終わるものではない。花器のもつ感じによって、温雅な日本的な花も、そのもち味をすっかり変えて、異国趣味と日本の花との結びつきによって、別の感じを生み出すことになる。大輪菊4 R

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