テキスト1973
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ただバタ—とチ。、ーズは豊こ。t ソビエトの人々の話を綜合してみカマド(ミヤマ南天)、柳、菩提樹、樫、リンゴの木などが多く、花の方では、カユウ、カーネーション、バラ、グラジオラス、ダリア、ケムリ草、ガーベラ、スイートサルタンの白花、デージーc花坦では、コスモス、ヒマワリ、カンナ、マリーゴールド、金魚草、ゼラニウム、ベコニャ、アジサイ、タチアオイ、ヒルガオ、トウゴマ、シクラメンの鉢植え等もありました。場所により、さじぎぽうし、とらの尾等も見かけました。観菓柏物はかなり種類が多く、日本と同じようなもので、中には名前のわからぬものも沢山あり、カスミ草に似たもの、スプレンゲリー、アス。ハラガスの類、たましだ、野生のしだ類、なるこゆり、菜闇、ヤシ、シ。ヘラス等もありました。オクラの実も食用にするせいか多くみかけます。その他の野草では白花のノコギリ草に似たもの、野カンゾウ、菊科のもの、シモッケ草に近い草、萩らしきもの、湿地では、蒲、稲科に属すると思える草、カヤツリ草が生えています。その他、多くの植物があるのだけれど、ただ不思議なことに、ユリ科の花がなかったことです。季節的に、鉄砲百合をはじめ、カノコユリなどが、見られると思っていたのに全然百合の姿が見られませんでしると、花は形をきめず、たださしいれるだけのことらしいが、それも草花をいけるだけで、樹木を愛するソビエト人は、木の大枝を切るようなことは考えられないことでした。こうして私達は日ソ親善にひと役を果して帰途についたわけですが、大変和気あいあいとした旅行であったし、又私達華道家たちの親睦の意味も大いにあったのではなかろうかと思っております。帰りの機上で、私はこの目まぐるしく過ぎ去った十日閤の異国の印象を一生懸命まとめようと努力しました。モスクワ川から見たクレムリンの風景、レニングラードでは、帝政時代の歴史的な名所旧貼、そしてエルミタージュ美術館、ネバ川のほとりや運河沿いの散策道、大理石や、花岡岩の雄大な建造物、そしてレニングラードの白夜に、何ともいえぬロマンティックな気持ちを味わったものでした。キエフのドニエル。フル川から見た金色の塔、思い出は朱しなく続きます。帰途、機の南側の窓には、夜空に大きな星がまたたき、反対側の北の窓は明るい北極の白夜で夕ぐれ時のように美しい色です。大きな国ソビエトの空の色は、私の心に深い印象をやきつけて、いつまでも忘れることのできない思い出となることでしょう。街路樹はいうまでもなくすべての樹木を大切にする国だと思った。松は五葉松が多く黒松と赤松の中問のあい松といった種類が多い。ナナカマドの街路樹は、六、七メーターの喬木が多く直径20センチ程度の木に南天のような赤い実が房状にみのって見事であった。私達がけむりの木といっている「スモークツリー」が多く、野生のもの街路樹としてもよく見うけられた。郊外へ出ると自然公園がひろびろとして、見渡すかぎりの草原と森林といった風景は、日頃日本の景色にみなれた私逹に、深い印象を与えられた。いけばな展の材料採集に郊外の森や丘を歩いてみたが、樹木の種類は日本より種類が多く、いけばなに使ういろいろな木を切ることができた。スズランなどもいたるところに咲いているが、ソ連では樹木を切ることを強く法律で禁止されており、私達は特別待遇で市の許可を得たのだった。公園の樹木は日本のように枝先を切りすかして樹木の形を作るということはなく、枝をとって形を作るというやり方である。街路樹の下に土管や鉄管を20メートル程度の間隔にならべて、紙屑類を投げこみ樹木について竹中疫敏夕刻になると火を入れて焼くという実に便利のよい処理をしているようで、これは日本と違いうらやましい感覚だと思った。私の感じたところでは、水が悪く日本の様に清らかな水がないようである。よい方で、レニングラードは悪くなり、キエフになるといよいよ悪い。日本の茶には到底だめである。しかしどのホテルのロビーにもサービスに湯がわいており、コーヒーの備付けもあって自由にのめるようになっている。建築物は古い歴史の国であるから、伝統の古建築は実に堂々たるものであって、古い様式の建造物は全く立派である。モスクワやレニングラード市の中心の脱業地域の建造物は半均して五階六階建てが多くフランスなどに比較すると少しお粗末なように思えた。キエフ市郊外などには農家の一戸建て住宅が多く緑の田園の中にある住宅も、大体まずしい感じの家が多い様である。面店は多くの莉品が国営化している関係からか質素なものが多いようである。外人向きの店には飯秀品があるが一般向きの麻品はクラスが低い、というところらしい。私達のもモスクワは鉄分が多いがまだ藤林慶行っている日本製のセイコーの時計を売ってくれと、随分せがまれたものだった。市民は大体とのんびりと生活しているらしく、買いものでもゆっくり行列するということも苦にならないらしい。道路は掃除がよく行きとどいて、いつも水が打たれていて気持ちがよい、清潔な街であった。なにしろ古い芸術を大切にするお国柄であるから、日本の歴史のあるいけばなというので、大変儀遇されたようでした。ソ連のお嬢さん達はヨーロッパの同じ年代の方とそんなに変わりがないように思いましたが中年以上の方は随分大きい人達が多いようでした。たべものは大体に変化が乏しく質索なように思いました。果ものが少なくトマトも実に小さく、りんごなど青く固くすっぱいといった状態でお食事は一般にまずい、といえるでしょう富で、ことにアイスクリームは美味で食事ごとに必ず出るのです。ホテルのお食事は大体うす味で食卓に調味料がおいていない、という状態です。多種類のお料理が自由にたべられる日本と比較すると、わびしい感じでした。しかし市民の皆さんは実に親切で私達に好意的でした。歴史のある国大市冨佐子市民生活12

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