テキスト1973
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七月十五日から三日間、京都市と姉妹都市の閲約を結んでいる、ソビエト(ソビエト社会上義共和国連邦)のキエフ市で初めて、いけばな展が叫催されるため私は同展の一旦として、ソビエトヘ十一日から二十日まで行って参りました。約十日間の短い日程の旅行ですし旅行の主目的が、いけばな展の間催ということでもあり、見学する期間も少なかったので、ほんとうにそのソビエト連邦での日本いけばな展ない。30分程でもう日本海。左下に一部分を見てきたというにすぎませんが、以下、私の感想を書いてみたいと思います。七月十一日正午過ぎ、ソビエト航空のアエロフロート機で羽田空港を離陸、東京の空はスモッグで視界ゼロ、左手に見える筈の富士山も見え佐渡が島が雲の問からちらちらと見えます。やがて日本海横断、一時間ほどでソビエト領に入る。ほんとにソビエトヘ一時間半ぐらいでこられるのかと近いのにびっくりしました。アエロフロート機はソビエトの航空機なのでスチュアーデスもソ連の女の人でした。正午過ぎに東京空港をたって、間もなく日本時間の午すと、十一日の、まだ午前8時ということになります。間もなくハバロフスクの上空です。今まで北上して来たが、ここで機は西寮りにコースを変えました。スタノボイ山脈が見えだし、バイカル湖の北側をとんで行く。おそらく三万フィートの高度なのだろう。窓からは雲の海しか見えません。乱気流がないのか、機は山悶上に、じっと立ちどまっているようでした。時々実の間から、シベリアの大原生林や、草原(ステッ。フ)が延々と地平線まで続いて気が迪<なりそうな感じです。人家もなく、濃い緑色や、うす緑色の山岳と草原のこの雄大なソビエト領の未開拓の原野に、つい5時間前にせまいスモッグの日本からやって来たとは信じられないくらいの気持です。私は一生懸命このとめどもなく続く美しいシベリアの広大な風景を機の窓からじっと見つめていました。モスクワ、レニングラード、キエフを語る前にこの景色こそ実に索睛らしいものでした。音楽でいえば。フロローグ(序曲)ということになり後2時だから、モスクワ時間になおます。やがてエニセイ河が美しく姿を見せ始める。<ねくねと、まがりくねってその姿をさえぎるものもなく、大平原の中にはっきりと遠くまで見えています。日本では今頃はタ方だがモスクワ時間ではまだ昼過ぎおそらく地球と一紹にとんでいるからでしょう。モスクワまで後1時間半、カザンという町が見えて来ました。だんだんと濃い緑色の森林地帯が少なくなって、のんびりしたロシア平野がつづきます。機は徐々に高度をおろしはじめました。平野は殆どが白樺といっていいくらいの森林があちこちにその群落を見せています。その間をぬって、草原があり、ぽつん、ぽつんと洋風の山小屋のような、かわいい三角屋根の家が目に入る。のどかな風景です。ヨーロッパの景色とどこか似かよった所があり、ああやっとロシアに来たという感動で胸がいっぱいになりました。十一日の正午に羽田空港をたったのにモスクワ時間になると十一日の午前6時に、とびたったことになります。6時間の時差です。モスクワまでの10時問の飛行を終えてモスクワのシエレメーチェボ国際空港につきました。午後4時、日本ではもう午後10時になっている筈です。青々とした芝生のような東京からモスクワ時間の30キロ、40分ほどの所にこの空継がシェレメーチェボ国際空港に降りたった時私は、『まあ、なんと大きくて、ひろびろとした国だろう。」と目をみはったものでした。どの角度から見ても白亜の空港ビル以外には家は見当らず、はるか遠くの方に白樺の林だろうと思える森林と、広々とした草原があるだけなのです。農作物を栽培しているのでもない。ただの草原なのでした。見わたす限り山はなく、モスクワの中心から約あるのだけれど、国際空港ならば、もっとにぎやかで航空機の発秤で大変な騒音だろうと考えていたのが、まるで田舎の駅に降りたったような鉛党をおぼえました。やがてモスクワ市につきました。モスクワはいうまでもなく、ソビエト連邦の首都で、政治、経済、文化、芸術の中心地でもあります。バスで市の中心地へ行くまで窓から見える風景は、白樺の林、松林が両側にずっと続く。ソビエトの人達は祖国のシンボルとして白樺を愛しているそうです。モスクワの町は気楽な町でした。そしてまた索睛らしい町でもあった。古い歴史を繰返し、繰返しの革命の試練にたえた古い都は現代ではエネルギッシュな活動的な大都市となっています。一番の見所は、ソビエトの心臓であるクレムリン城と、その前にある「赤の広場」桑原素子,モスクワ市内ゴーリキー街

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