テキスト1973
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ク,□ニュージランドは秋がすばらしい国だときいていた。気候がよくて季節は日本と逆になっている。私は五月十五日ニュージランドのハーダード御夫妻に招かれて以前から興味を持っていた国へ旅立つことを決心し、羽田発午後八時三十分発シドニー行きカンタス航空でまだ見ぬ国への期待に一人旅の不安さも忘れ、シドニーでニュージランド航空に乗りかえ、オークランドについたのは翌十六日の夕方である。オ—ランドの街は、すがすがしくてもうすっかり秋の気配である。ォークランドはもとの首都で、人、こ。ナ街も山も川もみどりが生き生きして(オークランドスター紙に掲載された石田さん)口五五万、ニュージランド一の大都会だとのことである。南島と北島をあわせた面積が、日本から北海道をのぞいたのとほぼ同じ広さだというが、総人口は二七0万だというから何もかもゆったりしているのだ。とても広いところへ来たような感じいる。オークランドでの第一夜は、以前京都に来ておられた、リッルウッドさんという柔道家一家のお世話になることにした。リッルウッドさんの中庭にスダチが実っていたりハイビスカスやブーゲンベリアが咲いて、どこの家もダリアやバラの花があふれるように咲いていた。おどろいたことに紫色の花が街路樹や、かきね一面に咲き乱れ、そのぬれたように美しい花は、私たちの見馴れた花の何倍にも大きくほってりと咲いていた。私はこの花を眺めただけでも、はるばるニュージランドにやって来たかいがあったような気分だった。芝のみどり、木々のみどりと紫がマッチして、もっとも二ュージランドらしい感じを受けた。十七日は早速街へ買い物に出かけた。いわゆるウインドーショッビングでクィーンリストリートというメインストリートで、街は見るからにのんびりしていて、きかう人々がせかせかしていないのが、何よりうれしい。十字路のゴーストップがさっと斜めにひらくので、その流れがめずらしく、体の大きな人々の間にはさまって調子よく歩くのがとてもいい気持だった。街に出てもすぐ目につくのは花屋さんと、ウインドーの花である。花屋さんの店先に、ドライフラワーのオレンジ、プルーと色とりどりの小ぎくが、目をひいた。店内にもフラワーデザインした花が大きなかごに生けられ、店のふんいきをひきたてている。なんだか花に誘われて店内に入った。店の女主人が笑顔でしゅべりかけてきた。ウェスタンスタイルといってイギリスのいけ花のスタイルということだった。日本のお花のことを知っていて「いけばなが盛んでしょう。」とたずねられた。日本の花屋さんのように、色々の花がなく、菊、カーネーション、バラ、キンセカぐらンいで、他はすべてドライフラワーの材料である。バラは一本七百円で、ダースで買わなくてはいけないときき、とても驚いた。どこの家庭でも庭に花を作っている理由も理解できそうだ。菊の葉なども下の方は枯れている花でも店頭に並んで売られている。十八日「オークランドスター」と日本のように行いう新聞社より霞話を受け、午後一時新聞社のインタビューを受けたが、早口の質問ぜめで、いささかとまどった。日本のいけばなの歴史、いけばなのボイント、私自身の。フライベートな家庭のこと等、写真を。ハチ。ハチ正面よりとられて閑モンストレーションの時とればいいのにと希望したが、親道関係は夜は働らかないという返事が戻った。やはりニュージランドだ。いよいよ私の力を発押せねばならない時がきた。夜八時半よりインターナショナル、カルチュル、ソサイティーというメンバー主催で市民ホールにて「イケバナフェスティバル」を行なうのである。私は日本より持って行った竹の花器二個、リッルウッドさんにかりた陶器三個、合計五個の花器に一時間の規定時問に生けて説明することになっていた。花材の草花はすべて、花屋さんで買って、木のもの、葉のものは、リッルウッドさんの庭の木を切らせてもらった。ニューサイラン、ユーカリ、やなぎ、たましだ、ニューサイランの花のドライと、良い材料がみつかってほっとした。リッルウッド夫人のよんでくれたタクシーに私は花器と花をもち乗りこんだ。初めて行く場所の不安と、デモンストレーションの緊張のせいか、一人になると急に心細くなってした。デいけばなの旅ニュージーラン桑原専慶流ドを訪ねて石田由利子

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