テキスト1973
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生花(せいか)は昔から伝えられてきたいけばなである。花形もおおよそ定っており、技法も伝統の方法を踏襲している。「伝統」という言葉は、昔から伝えられてきた約束の形を、そのまま再現するという意味にとられやすくまた、昔のままに作ることがよいのだ、と誤解されやすい。随って一種の型もののようないけばなになり、約束にとらわれて花のいちばん大切なうるおいや自然から離れることにもなった。今日の生花はそんな考え方であってはならない。また「真実の伝統」はそんな不自由なことを教えたものではない。作品をよくするために一つの方法を定めたのであって、草木の自然を尊重することと最も美しい花形を構成するために、いちばん作りやすい方法を示したのが生花の花形であり多くの約束でもある。しかもこれは、江戸時代から明治期にかけての思想であり、その時代の生活に調和するいけばなでもあったわけである。今日のいけばなは今日に活きるいけばなでなくてはならない。たとえ、伝統の生花を作る場合にも今日の生活や趣味思想に調和する作品でなくては、価値がないということになる。ことに最近、花の材料を考えても、年ごとにといってよいほど新種の花を見るようになったが、伝統生花といえども、当然これらの花を材料にして活けることになり、新しい考え方が必要になってくることはいうまでもない。したがって、これまでの生花の約束や花形さえ、ある部分をあらためる必要が生じてくるのだが、どの程度まで自由であってよいのか、また伝統生花と新しい生花との区別と、その割り切り方はどうあるべきか、ということについて新しい問題が生じてくる。まず、第一に伝統の形式の生花を「伝統生花」というのがよく、また、新しい考え方をとり入れようとする生花を「現代生花」と呼ぶのがよいだろう。この二つの区別によって守るべきものは尊重し、また一方に新しい考え方を大きくとり入れる、といった考え方がいちばん合理的であると思う。私はこんな考え方で、今後の生花がのびて行ける道を決定すべきだ、と考えている。c 7 まんさ< (生花)••••

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