テキスト1973
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立華時勢粧(貞享五年版)の巻六をひらいてみる。草の部の中に「蓮」について、次のような文章が書かれている。これはその中の一部だが、今日と比較してみると参考になることもあって、中々面白い。一、蓮花は水中出生の物なれば草木に立まぜては池中の景気瓶上にうつらざるゆヘ一色物ならでは立る事なし。然ども蓮花一色にて立るを真の一色といひ。水草を立まじゆるを草の一色と云。一、蓮に立まぜて不苦物、芦。蒲゜つくも。杜若。河骨。一切水草のたぐい用之。又古来菊を前置に用ゆ水に縁有故か比外陸物を立まぜる流儀も有といえども花道の正理にあらず景気もあしければ当流に不用。一、蓮の一色立んとおもはゞ自池辺へ行て。開葉。中ひらき。巻葉。やれ葉。こげは。蓮肉。花は赤白或は茎風流なるを見立て切べし。しからすは立花に心得ある人を遣すべし。花屋といヘど功者なくては切べからず。以上の古文書の中に、蓮にまじえてよいものは芦その他の水草類とあって、これは配合として当然と思えるのだが、に縁有故か」というくだりが少しわかりにくいので、菊と水ということから思いついて「菊水」という言葉を「広辞苑」でしらべてみると、次のように記されている。「古来菊を前置に用ゆ水(菊水)中国河南省郷県にある白河の支流、古名は鞠水、この川の崖上にある菊の露がこの川にしたたり落ちてその水きわめて甘く、水辺に住むものがその水をのめば長命するという。楠氏の家紋として名高い。これでどうにか理解できたのだが、迎の立花と菊の結びつきが、中国の伝説によるというのも、古い花道の性格が窺知されて中々興味深い。蓮の一色を立てんと思うのだったら、自らが池へ行って材料を採集すべし、というのは全くその通り、今日でも私達が実行しているのだが、なお「花屋といへど功者なくては切べからず」というのが中々面白い。花屋でも心得ある花屋でなくてはまかせるべきではない、といっているのは至極同感で、今日と少しも変わらない。ここに「花屋」という言葉があるのだが、元禄時代の花屋というのは、どんな姿であったのだろうかと興味がもたれる。浮世絵にあるような桶に花をつけこんだ花屋の店先を思い浮べると、いよいよ面白いし、三百年以前のその時代の生活様式もそんなに今日とは変わらないものだな、と思うのである。(立花時勢粧は桑原冨春軒の伝書)3 はすおみなえし夏の花二種,山に咲くおみなえしは黄色,細い茎が蓮の茎の直線と調和している。

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