テキスト1973
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近頃、蓮のいけばなを活けるということも少なくなったが、私の若いころ、昭和十年前後には花道界でも「蓮花の会」というのが盛んに行なわれたものだった。京都の郊外であった伏見の南部方面や、巨椋池(おぐらいけ)などにはひろびろとした蓮池があって、材料の採集にもことかかなかったし、巨椋池(おぐらいけ)など「蓮見舟」こ。t そのころ、京都の華道家達が集まの遊船が出たり池の附近に料亭などがあって、蓮の咲くころは風雅な遊びの―つに数えられていたものだっって催す「蓮の会」が毎年の行事のようにして行なわれた。なんといってもまだ、のんびりとした時代であったし、いけばなの世界も小さい範囲で動く程度のおだやかなつきあいだったから、蓮の水揚コンクールの様な倦しは、かなり刺激的な企画だ今日このごろでは、蓮の会が催されるにしても、全く趣味の催しとして楽しむことが出来るのだが、ひと時代前のそのころは水揚の成組を競うようなふんい気があって、各流の先生方がわれこそはと、異常な熱気をはらんで中々大変なものだった。つこ。t 水揚というと秘伝という言葉がひっつくほど、各流が水揚法を秘密にして、が、それこそ「秘すればこそ花」という世阿弥の言葉にあるように、お互様その内容をかくして、自分の作品だけが最後まで勝ち残るように作戦したものだった。勝ち残るというのは蓮花会へ出品した自分の蓮のいけばなが、他の出品よりも時間的に蓮の花をみると「清浄」という言葉がそのまま、という感じをうける。早朝にきりとった花と葉を細口の花瓶に活けた。紅蓮の花がふっくらと咲いて、それに堅いっぽみを添えて、このつぽみの形も面白い。世俗を超越したように、高い位置に一輪だけ悠然と咲いている大輪の花は清らかに美しい。昔から仏教に関係の深いといわれる花だけれど、それも蓮の花にとっては無縁のことであろう。夏の池辺を彩る美しい花として、ことに夏のいけばなには興趣のつきない材料である。花茎がのびのびとして美しい直線をもつ蓮の花は、意外に洋花とよく調和する。すこしニュアンスがちがう少しでも永く保って、最終時問まで完全によく水揚して居残ることなのだが、大体、午前九時に活けあげて午後二時三時ごろまで居残れば成績優秀ということになる。蓮の水揚にかぎらず古い花道の中には、こんな秘伝めいた考え方が多か(-たし、それがいけばなの進歩のためにいろいろな障害を胚胎したのだった。2 花す蓮は

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