テキスト1973
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かぼちゃ灯籠かぼちゃ(インドシナのカンボジアより伝来したのでこの名がある)ー南瓜ーこのごろは南瓜(かぼちゃ)をたべることも少なくなったが、私達の子供のころは、どの家庭でもお惣菜にかぽちゃを煮くことが多かったようである。今の化学肥料でつくる南瓜とは美味だったと思うのだが、夏になると南瓜と西瓜とは生活に切り離せないもの、と思っていたほどである。今日では南瓜を進物にする、などとは想像にもつかないだろうけれどそのころ南瓜や西瓜をお中元のしるしですと、璽たいものを何箇も届けて廻るような習慣があった。お盆に近づくと南瓜を百個あまりも車に積んで、私の家の若いものと一緒に京都市内をぐるぐると、進物に廻ったことを覚えている。かほちゃに名札をはりつけて、多い家だと五箇ほども二、三人がかりで持っていったものである。まことに素朴な習慣であったと思う。そのころ私達子供の仲間(私もそのころは子供だった)では、かほちゃで灯篭を作ることが―つの楽しみだった。外部から庖丁で切り込み四角い窓をあけ、内部の実と種の部分をすっかりとり出して空洞をつくり夜になるとその内部にろうそくを点して灯篭にする、というまことに索朴な遊びだが、結構それも夏の楽しみの一っだった。「西瓜灯篭」というのもあった。これは少し高級なほうで、同じように内部をくり出してろうそくをつけるのだが、西瓜の外皮の広い部分に少し手のこんだ彫刻をする。簡単なのは自分の名を彫る程度だが、中には鳥の形、魚の形などをすかし彫にして、その部分から灯火がもれるという趣向である。夏の夕刻の少し小賠くなったころ農村の表通りを歩くと、子供達が集まってこんなかぼちゃ灯篭を作って騒いでいたことも印象的だった。それはお盆の八月十五、六日ごろだったと思つのだが、十七、八才ごろの私と幸吉という小僧の二人で、本願寺の角坊(すみのほう)から桂川の捉防を歩いて桂別院へ立花を作りに行った。土ほこりの道を車をひきながら、西院の村道を帰るころは、すでに夜になっていた。すっかり暮れきった街道を行くと、両側の店屋の灯光が道路に縞模様を作って、夕食を終わったのであろう、附近の子供達が集まってかぼちゃ灯篭に火をつけて遊んでいたが、ろうそくの火が南瓜の内部に焦げついて、香ばしい匂いが恥をつくように漂っていたのを、今でも忘れることが出来ないのである。この昔の梢緒は、いつまでも私の心に残っているなつかしい思い出である。(専渓).... .... ゾ.f 淡い紫色のミヅギボウシ,野生のギボウシでわびしい感じの花である。これに高砂百合の花,桐の実を1本添えて瓶花を作った。R テッボウユリギボウシキリの実10 •••• ...

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