テキスト1971
95/154

16―-_―--[-A、よほど以前のことだったが、私の友人にかなり高名の洋画家があった。その家の応接問の壁面に時計がある。それが中々面白い工夫がしてあるので、さすがは芸術家だけのことはあると感心したのだった。というのは、墜面を切り抜いてそれへ時計をはめ込み、裏側の隣りの部屋から時計の操作をするように工夫がしてある。応接問からみると、墜而に一枚の厚手の日木紙(清丁紙)がはつてあるだけで、それに毛筆で「壱、弐、三、四」というように恐の字を書いて、もちろん時計の目盛りも細かく書きこんである。和室によく調和した工夫なので、今日でいう生活の知恵も中々すぐれたものと感心したのだった。私も真似てみたいと思いながら、部屋の都合もあって実行することができないのだが、さて、ここにある写真は廊下の墜面にかけた壁掛の照明具である。古いしんちゅう製の金属器だが、これは随分以前に、神戸元町のある道具屋でみつけた、これは何かの容器のふたである。それをもつて帰つて足をつけ照明具に使つている。光の洩れる調子が面白く、エキゾチックな感覚がある。いろいろ工夫をして楽しんでいる、といった調子である。R R壁かけの照明具の前へ高卓(たかしよく)を置き、花器は掲色の陶器の新しい感じのものである。テッボウユリを2本、剣山にとめてある簡単な花だが、照明具との調和を考えて単純な感じの花を入れた。やや暗い場所であるし、照明具もあまり明るくない電球を使っているので、白い花が引き立つ。盛花の形を考えるよりも、感じの調和というところに重点をおいて活けた花である。Rの写真のように盛花らしく入れるよりも、この場合は簡浄の美しさとでもいえる、単純な花のほうが場所によく似合うし、はつきりとした強い個性が浮んでくる。このように時としては、花形にこだわらないラフな調子の花を活けることも必要であろう。R温和な盛花である。この写真は随分前の写真だが、テッポウユリの小品と対照するために掲載した。グロキシニア、あわの枯れたもの二種を活けてある。同じ場所の花であるが、なんとなく形式にはまった弱々しさがある。よくない花だが参考になると思ったのでならべてみた。5 "s-; r贔R 壁かけの照明具と花

元のページ  ../index.html#95

このブックを見る