テキスト1971
92/154

をの場所に調和のよい花、花のもつ趣味や品種、色と形、それをよく選ぶことが必要である。その場所にぴったりする花、よく似合う配合、いつも考えていることだが、特殊な場合、場所となるとこれが中々むづかしい。「光と花」は専門的に考えると中々面白い課題である。ここにならべたいけばなは、一般的なものだが、また次の機会に積極的な「花と光と陰影」について書いてみたいと思う。.. も私は年若いころからいろいろな道具類をみるのがすきだったし、折にふれて買つてきて楽しんでいるのだが、特に美術品というほどのものはなく、いわばげてもの買いという程度である。ただ、面白く思うのは化器にしてもその他の道具類にしても、私の家にくるまでに、またそれを買うときのそれぞれの思い出や、そのときの感懐といったようなものがまつわって、年がたつにつれてそのときの梢景が浮きぽりのように息い出されて一屑、その器物に愛秤を深くするのである。ここにならべた照明具もいつのまにか数になったのだが、その一っ―つはやはり私にとつて絶ちきりがたいなっかしみがある。たとえば、この上の写真にある「竹ラン。フ」は、明治時代の電灯のつかないある時期に、外国渡来の石油ラン。フを日本の座敷に調和するように、竹を利用して木の台をつけて燭台様式に考えて作られたものだが、丁度、私の十二、一ニオのころ、京都の梨木神社の宮司をしておられた野村敷明という先生のもとへ、没文と1文を習いに行つていたころだった。夜になるとこの竹ラン。フを机のわきにおいて、「子口く」などと口うつしに教えてもらったものだった。ラン。フの光が下方にひろがつてたたみの土に丸いくまどりを描いていたが、七+を越えた先生のひざの上には、いつも猫がまるくなって眼つていたのが思い出される。このラン。フは野村先生のかたみの品としていただいたのだが、まことに私にとつては貴重な品の一っといえる。1ページの写真は民芸風の照明具(紙ばり)の柚にむくげの小品花を置いて調和をとった。庭に咲いている淡紅色の「祇固まもり」という名のむくげ、祇園まもりという名ゆうにやさしく花も美しい。古銅の花瓶に一本だけ軽くさして、おぼろな光をうけた花がひときわ引き立つて、夜の花の情緒を出していると思う。この上に掲載した「竹ラン。フ」と「こおにゆり、しらほしかゆうの葉」簡単な花だが、ラン。フの高さに調和した立体調の花型に活けてある。日本の山百合に少し明るさを加えて、洋種のカラジュームの葉を添えた。2 夜のの美しさ.... 花

元のページ  ../index.html#92

このブックを見る