テキスト1971
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こ。t 東福寺と立花とは花道史の中では父が立花を献納したという、古い思い出が私の心をとらえて、折にふれて東福寺をおとずれるのだが、私も数年以前にNHKからたのまれて、ここの禅堂で立花を作り、その状況がテレビ放送されたことがあっ深い関係がないようだが、私にとつてはなんとなくつながりがある様に思えて、時々、ひまを見つけてはこの寺を訪れる。六月のはじめのある日、カメラを持つて束福寺へ行った。夕刻の項だったので広い壕内には私ひとりが歩いている様に思えて、ひとしお寂蓼て、今日は渓川にかかつている廊栢を写真にとるのが目的なので、いちばん下の迎路にかかつている橋「臥雲梢」辺をつたい歩いて「通天橋」つうてんきよう、を写真にした。通天栂は昭和34年の水害で崩壊して、橋脚がが、写真でみるように木造の古雅な歩廊と柏脚のコンクリート造りがなんとなく不調和で、わびしい感じがする。方丈の石だたみを伝つてその奥にある「龍吟庵」への道にかかつてでこれが一__栢のうちで一ばん奥深いを感じたのだった。参観券を買つがうんきよう、から楓樹の岸コンクリート造りに改架されたのだいるのが「僕月栢」えんげつきよう、渓流にかかつている廊柄である。えんげつ柄は世界最古の廊橋といわれ、慶長八年豊公北政所の創建したもので、重要文化財となつている。三つの廊橋の中では一ばん優雅な姿をもつており、女性的なやさしさを感じさせる。廊栢というのは、屋根をもつ橋自体が―つの建造物であり、堂塔をめぐつて行くための歩廊という意味であろう。日本の木造建築の構造美を感じさせる美しい姿である。渓谷の三葉楓と廊柄の調和が、京都らしい雅致を感じさせる。やがて夕づく陽が小暗くなったので、三門を左に見ながら帰路についた。c 雲R橋橋橋月天臥俊通c⑪ 立花(りつか)は江戸初期に完成したいけばな様式なのだが、主として武家寺院の床の間の花として作ったので、現代からみると大きい花形のものが多かった。桃山以前は「たてばな」といわれた時代があって、活けるではなく立てるという言葉のしめす様に、堂々とした力旦感のある花である。⑪ 写真の花器は「砂鉢」すなばち、といつて、これは作りあげた花体の足もとに砂を入れて、おおいかくす様に仕上げるので、砂を人れる鉢、これが「砂鉢」という語諒となった。水盤という言葉は、水を平盤な器物に盛る、というところからはじまつた言葉で、平らな皿の様な器に花を盛るというのが、盛花の語源である。7 .... (写真専渓)

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