テキスト1971
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-i三六年藤原道家の創建になり、洛北の大徳寺と同じく臨済宗の代表的な大寺院である。東西南北数町に及ぶ広い寺域の中に静寂なたたずまいを感じさせる。のはほとんど観光寺院となつているのだが、この東福寺は京都市の東南に位直している関係もあつて、比較的しずかな清浄な感覚を保つている。広大な境内にもほとんど人かげも少なく、古寺のおもかげがそのままにあって、全く静寂の境地である。また、ここは紅菓の名所であって、境内に流れる「洗玉澗」という谷川を中心に三葉楓(みつばかえで)が多く、一般には通天(つうてん)もみじといわれており、谷川に「つうてん」「がうん」「えんげつ」の三つの栢があり風雅な趣がある。東福寺ねはん会に献納された先代家元作立花(対瓶)明治34年3月15日東福者は臨済宗の大本山で‘―二京都の寺というと、その有名なも十二世桑原専渓作門弟松本慶R先代家元官111春軒専渓の代表的な作品といえる。明治34年というと七十年以前で、先代の五十ニオのときの作品。松本殿仙という人は先代の高弟四人のうちのひとりで、本織は茶迅の指物師であった。自らも表千家の茶人であり、大正天皇の御大典のとき、京都御所の黒木灯篭などを作製した工芸家であり、人格の高い仙作風雅な趣味の人であった。この立花は松の一式の対瓶(ついへい)で、左勝手は専渓作、右勝手は慶仙作となつている。この写真はテキストの先号に専渓作品だけ掲叔したが、この号では左右の二つの写真を掲載することにした。屏風を越す高さと一瓶の横はば九尺程度の大作で、雅趣壮大な成℃じをもつ立花である。二つの作品が同じ様な形でありながら、それぞれ独立した花形と枝葉の配岡に変化がつくられており、一対のいけばなの場合は、この考え方で同じ花形でありながら双方に変化をみせるという、その心を教えている。東福寺のねはん会は毎年―四、五、六日に国宝のねはん像の図幅(わが国最大の)をかかげて法要が行なわれる日。その際に献納された立花である。なお、この花器(古銅砂鉢)は家元に保存されている。⑧ 月十6 東喜R 福?寺じ

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