テキスト1971
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おぐら面写花真採は集大の正風10呆年でごろすの。一京都市伏見区の南方におぐら池という広い沼池があった。周囲十七キロ(四里余)というのだから広々とした沼で、その後に埋立てられて現在は水田や畑になつている。それまではおぐら池は月の名所、蓮の名所として風雅を楽しんだものだったが、時代のうつり変りとはいえまことに惜しい名勝をなくしたものである。この写真は、そのころ桑原専脱のいけばなの同好者が集つて、蓮花の水楊の研究会を催したとき、池に舟を十隻ばかり浮べて、蓮を切る風景を私が写真にとったのだが、おぐら池のなくなった今日では、まことに珍らしい写真といえる。御婦人達の服装や洋傘の形まで今日とは随分違った風景だが、また、そのころのお嬢さん達の姿も見られて、いろいろな意味で面白い。五十年前の写真だからまことに貴璽な文献ではないかと、自作の写真に微笑をおくる次第である。この写真はよほど以前のテキストに掲載したのだが、ちょうど季節でもあり、珍らしい話題として今一度、皆さんに見ていただくことにした。このごろは京都附近にはほとんど蓮池がなくなつて、蓮のいけばなを活ける機会も少<なったが、夏の風物詩の一っとして、蓮切りの情緒もいよいよなつかしい息い出となっている。七月より八月へかけて辿化の咲く季節になると、私逹は季節到来とばかり辿花の会の叶画をする。早姐冗時ごろの一番屯車に乗り伏見やおぐら池などへ出かける。叫もやの立ちこめた池へ舟を出させて、この写真のように適門な花を切り、葉を百枚二C11枚ときりとつて附近の寺院などを借り切つて、ここを根拠地にして切りとった花葉をあつめて、水揚用の湯彿し器に熱勘をたぎらせ薬品を加えて、一束一束と根もとを煮き、急いで冷水にうつす。なにしろ時刷を急いでやらないと水揚げに影粋するので、かさ高い辿の棠を次から次へと煮き上げて冷水にうつして休む間もな,U` ‘.o 午前七時頃には水楊げをすつかり終えて、一同揃つて朝食ということになる。刃十人ほどが一斉に切りとりから水仇げまで、少しでも早くというのだから大混雑である。忙しい中にまことに楽しい時間であった。一時間ほど花菓を休哀せて、それから生け込みということになる。前以つて運び込んだ花器や、この附近のこの流儀の師筍の家からの花器を使って、会場はおむの木常に述のいけばなを数十瓶も活け並べて出来上るのが九時ごろくることになる)さて、これから午後二時ごろまでが、水協の勝負どころで、正午までに枯れてしまうものもあり、午後一_一時ごろまでみずみずしい姿もあり、一克いえ自分の作品をみつめて一生けんめいである。迎花の水楊風景を描いてみたが、なつかしい思い出である。(3ページの迎の牛花の様な作品をつ一憂、趣味とは2 巨椋の池の蓮切り9

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