テキスト1971
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旅愁という言葉がある。このごろは旅行も便利になったし、すべての施設がよくなったので、国内の旅行で旅のわびしさというような思いをすることもなくなったが、青森の北のはて、下北半島あたりの漁村などを訪れると、不便な乗りものをのりついできただけに、はるばるとよく来たものだな、という感じがして、これが旅愁というものかとその思いを深くするのである。四月十七日、厳島神社の桃花祭の能楽が催されたので、その前日の十六日に宮島についた。二、三日つづいた雨で、吉野桜の花びらが点々とそれでも参道に散り敷いて、終りの春の静かな日であった。手近かの山も霧にみえかくれするような小雨の中を、神社の境内に入ったが、写真Rのように、波の中にある朱色の大鳥居の向うに、広島の山なみがおほろに見えて、古雅な日本の美を象徴するような静かな情景であった。国宝の能舞台から伝えてくる笛の音の清澄な美しさ、まことに雨の静寂は古典の音楽と一調子になつて、幽玄の感じをいよいよ深く味わうことができた。倉敷の街も雨だった。旅館鶴形の前の倉敷川の柳も、緑の葉がひろがり、雨のしずくが葉末に小さい玉をつくつて光つている。考古館の前の中橋から子供づれの婦人の姿、小西氏が写真にしたが、明治時代の情趣をそのままにみる風景である。雨の宿の鶴形はことに静かであった。手入れのよく行きとどいた中庭は、根瓦の重厚さと、白壁の美しさによく調和して、ひとしお旅情をなぐさめてくれた。R敷き瓦の歩廊は、高山市上二之町の平田邸の中庭にある渡り廊下と、ほとんどよく似た棉造で、古い伝統の家のつくりを深く感じさせる。c cは京都の清水二年坂の雨、この辺りは古い京都の情緒を残している静かな町なみだが、この写真はよくその感じを伝えている。レーンコートと洋傘が、ぬれた舗道によく調和している。お抹茶と書いた幡(はた)の見えるのも、京都らしい風雅さといえよう。⑪の写真は、高山市上一之町の通りを、朝市に通う農家の主婦がもんぺ姿で、このごろでは珍らしい唐傘をさして足早に歩いて行く。町並みとそれに調和した素朴な姿、冷雨の中に静けさを感じる古い町の美しさであろう。岡山の藤野老人がさみだれの頃といったのは旧暦の五月、梅雨のころをさしていったのだろうが、まことに「旅と雨の情緒」はあわせて深い詩情を感じるものである。(飛騨高山)屋⑪ (京都清水)11

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