テキスト1971
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だいぶ以前のことだったが、岡山の藤野という老人が「どうぞまた、さみだれの頃にはお越しつかわさつて」と挨拶されたことがあった。美しい言葉なのでいつまでも心に残っているのだが、この季節になつて、写真小西進専渓楓の青葉に雨のしただりをみる頃には、そのときのことを思い起すのである。旅に出て雨の日を迎えるのは、困は雨の日なればこそ、緑の樹も美しく民家の屋根の風情にもひとしおの情緒を感ずるものである。しずかな緑の雨の中をはじめて訪ずれる町の姿は一層深い詩情を味わうことができる。初夏の青葉にやさしく音を立てて降る雨、箱根の精進湖から富士駅までの道、雷雨のはげしく降る中を、車で走ったのは八月のはじめの頃だったと思う。秋の雨はひと雨ごったことだが、また思い様によってとに寒さを増して風を交えた雨に街路樹の黄葉が落ちて、アスファルトの舗道におおい重り、ひとしお晩秋の愁いが身にしむ懐いがする。二月のはじめ高山での雨は、雪こそ少ない年であったけれど、冷えびえとして心にしみとおるような霰まじりの雨だった。旅の中で出あった雨は、いつまでも思い出の中に深い印象を残すものである。ここに4枚の写真がある。いずれも小西進氏の作品だが、私の好きな雨の情緒が美しく描き出されているので、この写真をながめながら、つれづれのお話を書いてみよう。(倉敷)雨の旅情(厳島神社)@ R 文10

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