テキスト1971
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""i山門を入って三00メーターほど歩いて本堂に行きっくのだが、その道に写真にあるような廻廊がある。なだらかな石段の上に目をみはるような立派な廻廊があつて、その堂々たる建築美に深い感動を覚えたのであった。その両側の庭園に牡丹固があつて、おそらく極楽浄土の美をあらわしているものと考えられる。比叡山の根本中堂はそびえ立つ杉の老木にかこまれて、その廻廊は森厳の気に満ちており、また京都北山の修学院離宮の下のお茶屋より上のお茶屋への露路、かむろ松の植込みの中をなだらかにつづく道は、高雅な品格を身に泌みて覚える。伝統的m 虚子知白な日本の庭園建築の美というものは、優れた工芸技術と高い神秘性の中に培かわれてきたものであろう。さて、早咲きの牡丹の写真をとりながら境内を廻つてみたが、ここにはシャクナゲの花が中々多い。山地のことであるから育ちやすい関係もあるが、花の種類も数種類あって、ちょうどこの日が満開であった。京都の北山にもシャクナゲが多いが、四月二十五日すぎから越えて五日頃までがシーズンである。ここのシャクナゲは少し盛季を過ぎていたが、桜よりも美しいと思われるこの花は、群落をつくつて咲く習性があり、野趣の美ともいうべき自然の花の美しさを見せてくれる。よほど以前に阪急沿線豊中のある温室で、かきつばたの花色のような紫ばなのシャクナゲをみたが、またこの三月に伊豆熱川の温室で白地に紅のくまどりのあるシャクナゲの花をみた。いずれもオランダシャクナゲという品種らしいが、外国の園芸品種は全く美しい。さて牡丹について変ったお話がある。これは私の秘話ともいうべきものですすんで話したくないのだが、牡丹の原稿の余白をかりて思い出話として書いてみよう。随分以前のことだった。そのころ日展の審査員である高名の日本画家が、京都の鹿が谷に住んでおられた群落の石楠花明し落日にが、ちょうど牡丹の咲く頃であった。ある茶道の先生が私の家へ来て、その画家の先生の日展出品作として牡丹の盛花の図をかきたいので、桑原先生に是非活けていただいて写生をしたいのでいけ花をお顧いしたいということであった。そのお茶の先生は画伯邸の茶室をあずかつているお出入りのお茶人であり、ことに女の先生であったので礼儀も充分わきまえず失礼な言葉があったので、そのころ私も年令も若く短気なところもあったのだが、はつきりとその場でお断りしてしまつた。「桑原の花がお気に入りなれば、その先生が私の玄関にお越しになつて依頼されるのが至当でないか」という私の返事であった。これはただ理窟をいったのではなく、あまりにも茶坊主的な態度が気に入らなかったので、あなたももつと権式をお持ちなさい、とはつきりと言ってのけたのであったが。その後、数日してその画家の先生が私の家へお越しになり、不行届きで申訳けないが、どうぞよろしくお願いします、というご挨拶があつて私もさすが恐縮して、その翌日お宅を訪問して盛花を活けたが、その牡丹の図はその年の日展の作品として出品された。そのお茶人も名家の茶人だったが、案外、礼儀をわきまえぬ人だったのを、いまだに残念に思つている。5 隕"-白牡丹いづこの紅のうつりたる

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