テキスト1971
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この絵は桑原桜子が幼稚園のころ描いたものと、最近、小学五年の同じ桜子が描いたものを対照してみたのです。この絵をみて年令のうつり変りによってこどもの考え方と、描き方が変つてゆくのを感じます。三オのときに書いた絵Rは幼いあどけなさがあって、無心にさらさらと書いた関係から筆勢があり、蛮心がそのままに出て面白いと息います。最近の絵Rは、桜の花を前にお20オ程度から習いはじめて、老年にいて写生したものですが、写実的で技巧的によく出来ていますが、絵としてはRのほうが面白いと思います。こどもの絵も年令によってこんなに変つてくるのです。そこで私達のいけばなも年令によつて変つて行くのかと考えてみました。また男性女性によっていけばな作品の個性に迩いがあるのか、ということを考えてみると、中々興味のある問題だと思うのです。こどもの絵は年令が上るにつれて写実的になり技巧的にうまくなつてゆきます。これは一般的に同じだと考えるのですが、いけばなの場合は至るまでの永い期間(人によってことなるが)つづけて行く、ということになります。こどもの絵のように年令のあがるにつれて、いけばなが緻密になつて行くのかと考えると、決してそうではありません。各人によって差異がありますから一般的にはいえませんが、その人その人の研究次第で技術もよくなり、作品も登つて行くということになります。老年になると技術がとまるかというとこれもその人の研究次第ということになりますが、特に必要なことは老年になつても年若い人達と同じように研究心を失わず、明るい花を活けようと努力することです。二十オの人も六十オの人も同じように、常に溌瀬とした研究をつづけなければなりません。一般花道家の例を考えてみると、五十才程度までは作品が登つてゆきますが、それからは特に変つて行くとは考えられません。努力しないからだと思つのですが、常に初心を忘れずに研究すべきだと思います。いけばなを習う年令はこれも一般的に考えて、20オから25オ程度、これがいちばん多いのですが、学校で基礎的な教養をうけて、いけばなに必要な一般美術に対する理解も充分そなわっている年令であり、ことに進取的な発展のいちばん溌測とした時代でありますから、学校でうけなかった実社会に対する知識を体験することになり、同時に古い言葉だけれど「婦人のたしなみごと」教養を身につける時代でもあります。いけばなだけに区ぎつて考えてみても、最も進歩するよき年令といえます。したがつてこのチャンスを充分に活かして、しつかり勉強して欲しいと思うのです。機会というものは楽々としてくるものではありません。男性のいけばなは一般的にいつて力強い作品が多いようであります。もちろん個人差がありますが、がつちりとした強さがありますが、その一面、繊細優美という点に欠けることが多い。各流派の(自流を含めて)男性のいけばなをみると、ほとんどが強い作品を作りたがる傾向にあります。そして女性のいけばなに多く見られる色彩的な美しさや明るさというものが少ないのです。いけばなは強いもの繊細巧緻なもの、明るい感じ、色彩美のうつくしさ、そのいずれにも作品にあらわすことの出来る考え方と技巧をもつべきです。男性の作品はこんな一方通行の欠点が一般的に多い様です。その反対側を特に研究すべきだと思います。女性のいけばなは体質的にいつても強いものは少ないのが普通です。太い重量のある古木のような材料よりも、細い木もの美しい草花を好むというのが一般的です。男性の花はどうしても強い方に行こうとするし女性の作品は繊細俊美な考え方があらわれてきます。これが一般的な趣味と教捉として習つている場合は、自分の好むところに進めばよいわけですが、教授者の立場、花道家の立場となるとそのままではいけません。男性の花道家は繊細と明るさのある軽やかな技巧を研究せねばならないし(習う人がほとんど年若い女性であることを考える)、女性の花道家はその立場から考えてもしつかりとした強い作品を作り得ることを考えねばなりません。(も渓)@ 桑原桜子の絵(小学五年)R 桜子の絵(幼稚園)うつりかわりし‘女児の絵けばな12

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