テキスト1971
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今日は4月15日、けさのテレビニュースで京都の桜は御室が四分咲き各地の染井吉野は満開をすぎ花を散らせているという。午前中、京都大丸へ行き流派の人達が出品しているいけばなを見る。なんとなくむし暑くなつて、街の通りも初夏を感じるようになった。桜が終ると花木の季節もすぎ、初夏の草花の季節に入る。少し汗ばむこのごろからは、いけばなもさっぱりとした感じのものが好ましい。花のにぎやかないけばなよりも、すがすがしい緑の葉もの、枝ものを活けるようにしたいものである。季節のうつり変りによって趣味をかえてゆく、その感覚が大切である。今日はテキスト五月号のしめきり日と心にきめているので、午後、机によりついて最後の2。ヘージを書く。なにを書こうかと書棚の古書をしらべてゆくと、思いがけなくも江戸時代の「潤花百瓶図」という本をみつけだした。潤花(じゅんか)という言葉に、これからの夏に向う季節「花のうるおい」という大切な意うるおい、かおり専渓味が考えられるので、そんなお話を書いてみようと思う。「うるおい」という言葉はいけばなには大切な言葉である。のたっぷりあること、花の水揚に通じる意味、自然の恵みに通じる言葉でもある。うるおいのあるいけばな、みずみずしい生花、そんな意味もふくまれる。また、これをいけばなの技術の上から考えると、のびやかにのどかに入った花は、深いうるおいを感じられるし、自然の花の姿をそれ以上、美しく活々として見せることになり、いけばなの真実の美をつくることになる。花のもつ自然にさらに一層のかがやきを作るのが、いけばなの技術ということができる。いけばなを習いはじめの頃は、花がなんとなく堅く、のびやかさがなく自然、うるおいを感じられないものである。これは花型を作ることだけにとらわれて、余裕のあるのどかな花が作りにくいことになる。技術が上達するにつれて花材の扱い方にもゆとりができ、花葉技のさばきも軽くなり、ここに潤いが生れてくる。要するにいけばなの「うるおい」とは、活け上った花に水分の満ちみちた水々しい作品であること、技術的にのびやかな感じにみられるいけばなであること、この二つである。上手の人のいけばなをみると楽々と、のどかにみられ花葉の色が活々と美しくみえる。活々としてということは水分が充分満ちた花、という花に水分意味で、花の扱い方の悪い場合、時間をかけすぎた作品は、自然、花のうるおいがなくなるのは当然といえる。上手の人は時間も早く材料の扱い方も順序よく手早く活けるので、材料もいたまないわけである。花を活けるとき、あまり長く時間をかけるとよい花が作れない。丁寧に活けるのだからよいはずなのに、出来上つてからみると、いいのか悪いのかわからない様な作品は、すでに鮮度を失つている場合が多い。いけばなは活きた花を扱うことであつて、時問の経過につれて水分が落ちてゆく。やがてはしおれるということになる。これから夏に向う季節は材料も草花の水揚のむづかしい季節であり、それだけに材料の扱い方、また季節的にも淡泊な感じの花、あつさりとした意匠の花、そんな作品が望まれる。いけばなは活ける人の心が作品にのりうつるものである。活ける人の日頃の修掟が大切であるし、心身の疲れない時間のうちに手早く活けあげてしまうということが大切である。馬をよく乗りこなす人は、人馬一体となつて軽いリズムに乗つて走るようにみえる。いけばなもこれと同じ様に、花材と活ける人の心とがよい調和をもつて、活々としたうるおいのある時間のうちに、軽やかな調子で活けあげることが望ましい。花のかおりについて考えてみよう。ヨーロッパ、アメリカの人達は花を手にとつて、すぐ顔にもつてきてその香りをかぐ、そんな姿をよくみかける。日本でも昔から花の香を詩歌によみ文章の中でも、匂う花を文学的にたたえているのに、私のながい体験によると、日本の人達は案外花の香について注意しないようである。花の美しさや、その味わい、雅致などという内面的外面的な印象には関心をもつているのだが、ひるがえて昔から言い伝えられている「花の香」について考えてみると、全く意外に注意されることが少ない。ことに花道の場合には、造形的には多くの技法や工夫があるのに、さて、花の香については昔から考えているようにみえないし、今日においても比較的、関心がうすいのでないかと思う。四季の花の中にはかおりのよい花がいろいろある。たとえば梅、ちんちょうげ、もくせい、くちなし、バラ、フリーヂヤ、アカシャ、チューベローズ、ジャズミン、マツリカの様な花は香りのよい花である。これに反してユーカリ、アリアム、けし、くじゃくそう、おみなえし、などは全く嫌な匂いのする花である。きんもくせいやちんちょうげの庭に咲く頃は、その花を見ないでも風が送るよい呑りに、季節のうつり変りを思い起すものです。やさしい花だのに女郎花の匂い、明るい感じのユーカリ樹、いずれも姿のやさしさ明るさに似合わない嫌な香りがする。夏のけいこによく使うアリアム頭の痛くなるかおりである。いずれにしても、どんなに形がよくても香りの悪い花は嫌なものである。いけばなには形と色のほかに香りのことも考えたいものである。しめ切った部屋に嫌な匂いのたてこもつているようなのはよくないことだと思う。ことに反の材料にそんな傾向の花があって、暑い折柄、一阿いやな思いをすることがある。美しい花であるとともによい香りの花、これが望ましい。外国では花の匂いを大切に考えるし、中因でも花の香をいろいろ工夫して用いているようである。たとえば衣服の中によい香りの花をしのばせたり、袖口の折返しに花をはさんだり、入浴のとき香りのある花を湯に浮かせる習慣があるときいている。花を愛する人達はその美しさとともに、香りについても関心をもつべきだと思う。(2) (1)

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