テキスト1971
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iさ21Hに京都の能楽棠で桑原専渓が出室町期から江戸期を通じて行なわれた、贈り花の装飾形式です。花手前(はなでまえ)などと同じように、花道の中にある礼法に屈している古い形式ですが、日本の伝統の美しい姿をあらわしたものといえます。四季の花を配合してのし紙の形に作った「花づつみ」に入れ、贈りものに使ったのです。紙は奉害、檀紙などを用い、紙の色を赤と白、淡紅と白、淡紅と淡黄などの様に色彩紙を二枚重ね合せてこの包み紙に入れ、足もとを金銀又は紅白の水引で結びます。花の色に識和させて紙の色を選び、また、冠婚葬祭などの目的に適した花の選択と、それに調和した紙の色を選びます。風雅な趣味と古典的な形式が、いかにも日本の伝統の美を伝えていると思います。能、狂言の中で花を使うことがあります。「はじとみ」という能では舞台に大きい「立花」を飾ります。これはなまの花材で、花逍の立花を立てるわけですが、また、狂言の「真奪」ーーしんばぃーという舞台では、ここに掲載した花包みを持つて出演するのです。この「しんばい」の狂言を、2月油しました。花道に関係のある狂言狂言の舞台でみる「花包み」花包み.. なので、室町時代のいけばなの姿にも関係があつて、ので、その時のもちものの「花包み」を参考のために写真にして掲載しました。(花は、紅梅、若松、菊)狂言あった時代の物語で、立花の真に使う花を奪いあう、という意味で「真奪」という題名になつています。(話のあらすじ)天下おさまり目出度い御代なればあなたこなたの立花の会はおびただしい事でござる。(主人が出て立花の流行であることをのべる)今日は東山へ参り立花の真を切りに行こうと息つので、太郎冠者に供をせい、と申しつける。太郎冠者を伴つて東山へ行く途すがら、ある男に出会う。この男は立花の材料である「松、梅、菊」などを花包みに包み持つている。主人がそれを欲しがる。太郎冠者が、それでは私が奪つて進ぜましようと安請合に心得て、「まず私にまかさせられい」と引受ける。そして、その男に言葉をかけ、「なにとわけてはおくりやるまいか」と交渉するのだが、ことに立花を好かせられるので、進上物に持つて行くのだから、ゆずることはなりませぬ」といつてことわる。太郎冠者は「イヤ、どうしても欲しいのだ」といつて、奪い合いになる。まんまと花材をとりあげて、郎冠者が真をとつてござる」と主大変面白く感じた「しんばい」は立花の盛んで「さるお方が「イヤ申し巾し、太人に見せる。「なんとよい真だ」といつて主人が花を手にとつて喜いお笑いとなつてくるのですが、以上の様に「立花」の材料を採集するために東山へ行くという設定は、この時代の立花の隆盛を物語つており歴史的にみて中々興味が深いと思います。「花包み」のもちものも、花道の方からみて参考になるところが多いと思っのです。セロファン紙で包んだ花束も美しいが、またこんな古い形式にも雅致があります。(専渓).... .... はなづつみ室町時代より江戸時代を通じて使われた贈り花の形式です。(3月15日に作る)ふそFのo後、狂言として例の如く而白12 ••

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