テキスト1971
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日本のいけばなの様に、独立した伝統や、芸術としての形式がありませんし、また日本のご婦人の多くの人逹が‘―つの修捉としていけばなを羽うといった、そんな料慣もありません。大体において、切り花を手軽く花瓶にさして飾るという程度のもので、極めて自由な「つかみざし」ともいえる程度が、一般的と考えられます。技術的な装飾花は、フラワーデザインの専門家が引きうけており、家庭のいけばなには、ほとんど技巧的なものが少ない、ということになります。随つて最近は、日本のいけばなが大変流行しておりまして、日本の伝統芸術である「能や狂言」が、一流劇場に招待されるように、イケバといった会が作られまして、知人団休など、H本のいけばなを研究する集りが、盛んに行なわれるようになつてきております。一般的にいいますと、いけばなよりも鉢植えの花を飾る料慣が多く、町で売つています草花の鉢を買つてきて、鉢カバーに入れて部屋に飾り、あるいはベランダ、窓際に飾るというのが多い様であります。したがつて町の花屋も草花を鉢に植えかえて売る仕事が多く、これが郊外へ出ますと、広い庭に花壇をつくり、花の多い季節になりますと、たとえばチューリッ。フの花壇、シネラリア、パンヂー、スイセン、ナスという様に、花壇をかえて美し・ナインターナショナルルビい花を集団的に栽培するというように、芝生と花壇の配列という、それこそりようらんとした花の装飾法が多い様であります。日本の都市にある植物隣には、この様な外国庭園の花坦の様式をうつしたものが多いのでありますが、たとえば、バラ、ダリア、ヒアシンス、シネラリヤなどを色彩の集団に作って植えこまれていますが、これがョーロッパ庭湖の特徴といえます。日本の伝統的な庭といいますと、古い寺院にあります様に、枯山水(かれさんすい)とか、林呆廻遊式(りんせんかいゆうしき)などといつて、緑の樹木と、水と石を主に考えられたものが多く、一般家庭の場合でも、たとえ花がありましても、その分品がほとんど少く、風雅とか、静かな美しさということが特徴になつておりますが、これに比較しますと、外国庭園はその構成の考え方、花壇の区画など、植え込みの花を主に考えられています点について、また大量の花の集団的な色の美しさを観裳するという点について特徴をもつていると思います。切り花の場合もこれと同じ考え方でありまして、人の多く集まる会楊のいけばな、宴会場の花、テーブルに飾る花の様式など、或は花輪、花束の作り方など、なかなか美術的な形式があります。エジプトの古い墜画や絵画に盛花の絵をみることがありますが、この数千年以前のいけばなの絵や、四世紀のビザンチン時代の飾り花の形式をみますと、この伝統を引きついだヨーロッパの装飾花の形式は、いわゆるョーロッ。ハ風の歴史をもつている、ともいえるわけであります。この花のマス状の装飾花は、壷の垢合も、水盤の場合も、左右前後につりあいの同じような丸い形、あるいは平面的に左右にひろがった形のものが、代表的な形といえます。まるいボール様のな形、その半分を切った半円の形、三H月の形、S字型に花をならべたもの、造形的にRR R いろいろな盛花の形が作られております。庭困の花壇と同じように、花を沢山あつめて形を作るというのが、一っの形式になっているわけですが、これに比較して、日本のいけばなを考えてみますと、大変な迎いがあります。日本のいけばなは、六百年の歴史をもつていますが、外面的な花の美しさをみる以外に、花のもつ品格とか、味わいとか、静けさとか、あるいは文学的な脳じ、抒伯的なあらわし方、といった様に、一本の花、一輪の花のつぼみの中にも、その風雅の感じを作品にのべようといたします。もちろん、形式や技術はいろいろありますが、一輪の花でもいけばなになるという、白然と心の調和とでもいいますか、そんな考え方が日本のいけばなの特徴でありますし、日本建築に調和して発展した、いけばなの考え方ともいえるわけであります。華やかな花の集りをみようとするヨーロッパの花の用い方と、索朴な自然美を楽しむ日本のいけばなとの違いが、国土と国民性を通じてあらわれているものと思うのであります。ストレリチアコチョウランアカシャデンドロビュームエリカカーネーション11 .••••

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