テキスト1971
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小さい壷にまる<盛りあげるようにカーネーションとユーカリの小瓶花カーネーション古備前壷ューカリお花を研けるときには、花器の前へ上しく座つて活けるのは当然のことなのですが、他の人の活けた花を拝見するとき、軽く斜に座つて見る人があります。ななめ前から軽い気持で拝見、という態度ですが、これはよくありません。活けた人に対して失礼ですし、いかにも誠意がありません。も一っひどいのは、先生に自分の作品をなおしてもらって、さてそれを拝見という場合に、花の前へ座らず、ななめから見る人が時々あります。これは中年の人に多いのですが、遠慮をしているのか、スタイルのいい様に体裁よく見ようとするのか、理解に苦しみますが、七三の位置から片手をつくような姿で花をみる形は、先生の方からみると、一体なにがために稽古にきているのかと思うほど、媒な感じがします。お花は正しく正面から見るべきものです。横から見たり斜めから見たりするのだったら、真面目に活ける必要もないはずです。こんな失礼なことはしないように。おしやべりをしながら花を活ける人があります。これも中年の御婦人に多いのですが、お稽古に座つてから帰るまで、ほとんどしやべりづめに友達などと話しながら活ける人が、まれにあるのです。けい古場の人気ものになってこの点は大変結構ですが、技術の方は上達するはずはなく、枝が折れたり切りすぎたり、花を落したりするのはこんな人に多いのです。花を楽しみながら活ける気持はわかりますが、これではいつまでたつても上達しません。趣味好みは年令によって変つてゆくものです。二十オは二十オの趣味、三十オは三十オの趣味、五十オには五十オの趣味と好みがあるものです。いけばなの場合に、その作品のあらわし方に年令の差があるかというと、そんなことは絶対にないのです。年若い人達は、渋好みの落若きのある花も理解せねばなりませんし、同時に明るい若さにみちた花を活けるようにすべきです。反対に、中年以上の方は落着きのある花を活けると同時に、若々しい新鮮なお花を活けることを常に考えねばなりません。いけばなの作品には年令の差はないのですから、ただ、自分の好きな花だけを押し通していると、折角のいけばなも技術的によくても、自分の気のつかないところに色あせた作品を作ることになります。いけばなにはエ夫が大切です。稽古をしつつ自分で考えエ夫する態度が必要なのです。型どおりに活けねばわからないという人は上達しません。自然の木振り枝振りを相手にするのですから、それをどう活かし美しくみせるかは、作者の考え方と技巧の差によってきまるわけです。常に考え常に工夫するところに、よいお花の出来るポイントがあるのです。才能が足りなくとも、鈍くさい技巧でもよいから、休まず怠りなく練習にはげむことです。必ず上手になります。井上靖の文章の中に、ビルの新築は次から次へと新しいものが建つのに、古い建造物の修繕や化粧は案外少ないものだ、と書いてありましたが、いけばなでも新しい花を活けかえることは望ましいが、活けた花はたえずなおしていつも新鮮に見えるような化粧をすることが大切です。手入れによっていつも美しく見ることができるものす。教場で器花12

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