テキスト1971
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5l321i4共は花逆家の出易でありますから、般の彫刻美術家と異ったやり万をもつて辿みたい、作品を作りたいという野心があるわけです。そしていけばなで鍛えあげた技法を、この新しい辿形美術を作るために用いたいと息うのです。それが、花逍家の「造形」という言葉の忍味であると信じています。花道の造形の出発花道家の私達がなぜこの様な「辿形」を考えつき、人変な努力をして作品を作るのでしよう。その出発点をふりかえつてみて、その「なぜ」を名えてみましよう。私述、花を活けるものはその持から杢内装飾のためにいろいろな工夫を屯ね、いける技術といけばなの手法形式などを研究して、それが時代の生活に調和するように、装飾美術としての役目をはたしてきました。どんな場所へでも調和する花を活けるというのが花逍の根本の精神であり、その芸術のあり方であります。桃山時代や江戸時代の生活様式によつて考案されたいけばなが、その時代の室内調度に相応したいけばなの作り方を考えたのも当然であって、それが延長して明治から今Hまで幾変造をして、視代のいけばなを作りあげてきたのです。後、1本の止活息想が大きく変転したのは勿論ですが、私逹の周叫にある建築と室内謁度、その規校の大きさもその様式も大変な変り様であります。>ー然これは私達のものをみる目にも変化が起つてきましたし、これが芸術の分野にも大きい影畷を与えたことは勿論であります。同時に欧米の新しい芸術にふれることも一層多くなつてきましたし、世界的な新しい芸術を理解しようとする態度も急辿に起つてきたのです。戦後のいけばな界が、この思想の彩聾をうけたことも当然といえます。造形の目標いけばなは本米、装飾美術でありまたその技法は「造形」の仕事でもあります。植物を材料として花葉枝その他の自然の学木を材料として形を作り、装飾の役目をはたしてきたのですが、その上作の実際を考えてみると、草木花を材料とするとはいえ常に形づくるということ、作り上げた作品の恙党ということに深い注意をはらっております。「辿形」について、たとえ仏統的な形式であろうとも、現代的な様式であろうとも、形づくるということがいけばなの本買的な目標であります。辿形という砧本的な杓え方、花追家の技術をもつて、植物以外の材料を使って辿形作品を作れば、どんなものが作れるだろうという夢が起るのも新しい時代の考え方として喝然なことであります。いけばなは植物を材料とすることがそのI命ではあるが、植物以外の材料をもつてある形を作ることができたら、どんなに楽しいことだろうと考えついたのです。当然、これはいけばなではない。いけばなではないが花道家の一っの研究課題として「新しい辿形」をめざすことも、いいことではないかまた、花道家が室内装飾を受けもつのが仕事の範間であるなれば、さらにそれをひろげて新しい創作的な「造形」に及んでもよいことではないかと、これは附和のはじめごろ、私の二十五、ハオのころ考えついたのです。早辿いろいろな試験的な作品を作りました。柏物の材料も当然使うし、それ以外の金屈晶、木材、土、陶片、紙、繊維の類、あらゆる形あるものを組み合せ工作して、塗料をも使って意表をついた様な造形物を作ったのです。もちろん、いけばなとは、仝然別のものという態度をしつかりとつていますから、何等のとらわれもなく作品を作ることができました。これがその後十数年もして、戦後の花適界に大流行をきたすものとは夢にも息わなかったのです。いけばなは背から宰内装飾のために花を活けることに恨らされてきました。実用的な災術であって、陶器や竹芸品、服飾品などと共に、実際の用途に立っために花を活けているわけです。芸術作品、ことに造形芸術の似合は、それを作るはじめから用途を考えることなく作品に打込む場合と、場所、用途を最初に定めて作る場合との二通りがあると思います。花氾家の作る造形作品は、ほとんどの場合「展麗会への出品作」といつてよいほど、それ以外の用途を望めない現状です。ですから、炭屁会に出品するのが目的であるなれば、それに適した作品を作らねばなりませんし、造形である場合はいけばなの形式約束には佃等のとらわれのない作品であることが目標として、はつきりしていると思います。もし、出品作品を会後、どこかの会館のホールなどへ飾ることができたら、この上の祝びはありません。それほど索朴な態度で出品するわけです。新しい造形は常に創作的な作品であることに生命があります。自分の考えついたはじめての試み、これが装飾美術として創作的な作品であることこの作品の生命ともいうべきものです。見る人の揖判を越えてその数歩も前を歩く考えで作品を作ります。これが前衛というパ葉の意味ですが、作者の大きい両ジを件品にあらわそうとする意欲が新しい作品を牛み出すことになります。したがつて「私だけの世界」を作り出そうという信念をもたねばならないものです。さて、10月3日より6日まで高松市の花展に「造形作品」を出品したのですが、これについてお話をしましよう。作品は前ページに掲載のもので、この写真は会場において撮影した写真です。高さ約2メートル程度のもので、私としては中作程度の作品です。この作品は「花瓶」をイメージにおいて作ったのですが、土力のひらいた形と、下部のひろがりとが花瓶の形をみせています。手のつけ方が複雑に曲線の輪の様な形に重なつていますが、これが花瓶の手の象徴です。中央少し上に段がつけてありますが、花瓶らしく見えないように造形として新しい形に作りあげたのです。写実ではなく(そのものをうつしたものではなく)花瓶にヒントを得て、それを別の造形として再現したわけです。白セメントで仕上げてその上に白色と緑と黒の混色の塗料6 高松展の出品について10

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