テキスト1971
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)翠私の手もとに備前焼が三0個ほどある。大きいもの小さいもの様々なのだが、それに小品花を活けてみた。この。ヘージの花器は西川消謳という陶芸家の作った花瓶で、この人は京都陶器の出身で、いんべへ移つてから二十数年になる。京都の技術で備前焼を作ったのだが、京都の時代には色彩の美しさと新しい形の考案で、異色の陶エといわれた人だった。洒の好きな而白い男だったが、九条の市屯のガードの下の五軒長屋に仕んで、私の家は油は疏水の川があり、その阿うは国鉄備前焼に活けた小品の奈良線、後は京阪定車の線路、上は市電自殺するのには至つて便利のよいところですと笑つていたが、その後、備前の陶エとなつて行ってから、すつかり音沙汰がない。派であっても、値段の点では大衆阿きとはここに掲載の花器は京都風な軽やかな技巧と西川氏の新しいものへの意欲を、仙前の土をかりて作りあげた陶器で、それが入り交つているところが而白い。花器を紹介する意味で簡単な気持ちで花を挿し写真を作ったのだが、備前焼の大衆向きの花器もこんな方刷へ辿んで行くのがよいのではないかと思うのである。備前焼は伝統ということを正くみているが、伝統だけでは現代に調和しない。鑑宜者は作品によって価値をきめるのであるから、今日に副和する、しかも大衆の人達にR 愛好される陶器を、価格を安くして提供することが必要であろう。備前焼の優れた作品は工芸品としては立いいにくい。それを大衆の手に渡すのが大衆窯である。ることを心配している人もあるとのことだが、価前焼として自信のある、しかも断しいデザインによる作品を大景生庄して、提供することが必要であろうと思う。その点、この西川氏の作品などはそれを(写真耐渓示唆していると息うし、二十数年以前の作品であるというところに一屈の興味を感じるのである。音信もない。伊部でたずねてもわからない。恐らくすでに亡くなったものと息う。竹家の中にも大衆から遊離す西川氏からはその後、なんの督⑧ c c 8 @ ねずみ色に緑色釉をかけた小品の壺花ばらんカーネーション⑧ 褐色にかま変りの斑文がある花桐の実ばら備前焼としては軽やかで明るい。西川氏の作品高さ20センチ程度の壺

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