テキスト1971
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釦-備前焼来年の3月に山陽新幹線が開通するというので岡山市も活気がみなぎつている。新しい駅の建築もすつかり出来上つて構内装飾の段階に入っており、なんとなくあわただしい。国道2号線を車で備前市まで、1時闇ほどの距離を、トラックや乗用車の渋滞のために2時間余も費して備前焼の本場、備前市伊部へ着いたのは正午をすぎるころであった。東岡山から相生までの赤穂線のほほまん中程度に備前市がある。随分以前に訪れたことがあったがすつかり様子が変つてとまどうほどの発展に驚いたが、国道のトラックの騒音のかたわらに古い陶器の町があつて、陶器を売る店、窯元が数十軒も軒をならべており、備前焼の壷、茶器、磁きものなど、統一された赤褐色の陶器が町いっぱいに広がつている、といった感じであった。岡山県和気郡備前市伊部。ここで作られる陶器は備前焼又は伊部焼(いんべやき)といい、また、ある場合には閑谷焼(しずたにやき)ともいわれる。閑谷というのは伊部から10キロほど離れた山麓にある、閑谷学堂からその名が始まったものだUi'‘ が、これは江戸初期の寛文年間、岡山の藩主池田光政が創立した学問所で、その講堂の屋根瓦を焼いた窯の跡を利用して陶器を作りはじめた、それが閑谷焼という名のはじめといわれている。価前焼の起原は鎌倉時代といわれるから約八00年以前にこの土地ですえものつくりが始まったということになる。それ以後、生活の実用陶器として水がめ、食器の類を作ってきたのだが、桃山時代に入って茶道の隆興とともに、備前焼の素朴な味わいと野趣が茶器として用いられるようになり、一躍して備前窯の名が高くなったと伝えられている。尖用陶器として始められた備前焼は、丹波焼や信楽焼と同じ出発点をもつているのだが、今日でも、その陶器の堅牢性のために、実用的なr]業製品、たとえば瓦、卜管、耐火諫瓦など、あるいは食湘類などが盛んに作られている。度以上の高然で焼きあげられ、七、八日から二十日程度まで窯に入って作られる硬質の陶器であるから、尖に堅牢ではあるが釉薬をほとんど用いない索焼の陶器である-i―10 0c 6 RR ^~ 一ヴヽ-9 .'. 'l -{ .. ち心良': ~-閏 ~ ~ , 嵐疇.ヽt, -! .. n !, " :.: 夏1-・ ~.; .e. ~ 11月のはじめこの陶器の町を訪問することができた。これはその印象記である。専渓@ いんべの窯元陶界を必る古い店ー・..● . ・畜R ••••

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