テキスト1971
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"リ月まえ① 日本のいけばなには古い歴史がある。花を活けて生活の中にうるおいをつくるという、室内装飾として花を飾るという、その目的のほかに、日本的な礼儀作法の一っとして花を習うことが、ひろく一般的に行なわれるようになつて、伝統的に花逍が発展してきたといえる。今日の花道の中には、それが修養の―つであるという考え方は、表面にはあまり出ないようになったが、たとえば女性の人達が花を活けるという趣味は美しいものだし、さらに男性の場合は一屈、風雅を愛する心があらわれて、それが修養などといういかめしい考え方でなくとも、心のやさしさや風雅をたのしむ生活のためにも、ぜひ習いたいものという思いは一般的に、それは当然と思えるほど習慣の様になっている。花を活けることは生活の周辺を美しくすることであり、たえず新鮮な花を活飾けりるた動い作との思中うのにはも普美通しだいが感じ、がさあらに一るべきもの、という考え方からこの「花手前」の形式が生れたものである。大体、いけばなは人の前で活けることは少く、平常にかかさず花を活けておき、家庭の人も来客の人達もそれをみて、ほっとしたやすらぎを感じることになるのであって、それを活ける場合には座敷の床の間の前に座つて活けることもあり、台所のテープルに花瓶をのせて活けることもある。つまり、花を活けることは人の前で活けることは少く、活け上げて飾りつけの場所にそなえつけたとき、はじめて表面にあらわれる性質のものである。したがつて活ける時点では裂面の工作であって、いわば陰の仕事であり、画家がアトリエで作品をつくるのと同じ意味である。したがつて普通の場合には自由② (桑原冨春軒にて写す)①来客が席につく②控えの人は花台を供えつける③次に花器を持ち出す制作でよいわけであって、すべては作品が勝狐をすることになる。しかし、花道が修養の面をもつているとすれば、この「花手前」のように、来客の前で活け花を見せる、といった作法が一っくらいはあつても当然、望ましいということになる。そんな意味の「花手前」だが、その中には花を活ける姿かたち、それを拝見する形、花瓶、水つぎ、花材の扱い方などが含まれていて、いけばなを齊う人には参考になることが多いと思うので、ここでは写真と対照して見ていただくことにする。③ 手て花□i,Eu

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