テキスト1971
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⑩立杭の陶芸は、約四十軒ほどの業者があるといわれているが、陶器専門の業者は数少く、半牒半陶の陶工がほとんどといわれている。⑩の写真にみるように、これはかなり大振りの壷だが、食料を保存するために用いられた容器の様に息える。焼成の調子も俊れているし、「上立杭村・利石衛門作」と彫りつけた文字も逹筆で壺とよく涸和していると息う。おそらく竹片で彫りつけたものであろう。視色の索地に黒色の土ぐすりをかけた陶器で、口辺の形も悠然とした咸心じである。し‘,0 ⑫は「指書き手法」によって文字を書きつけた徳利。洒醤油などを入れるのに使われた容器であろう。流賜な嚇きつけ文字の調子が装飾効果を出している。索朴な味わいの陶器である。これにくらべて次。ヘージにある「釘書き」で花校様をほりつけた壷は、壷の形も意匠的であるし、その形も、これは花器として作ったものだろうが技巧的な壷である。釘で柚いた絵は水盤又は植木鉢に薗の花を描いてあるのだが、絵も優れているしのびやかに書かれている。この指告き壷と釘害き壷をくらべてみると、その用途も装飾壷、実用壷とはつきり区別されているところが面白臨流しの壷指書き文字すみなが墨流しの小壷(江戸末期)「江戸時代につつるにつれて人工釉の発逹を見、それと同時にいろいろな形(葉形、張りつけ、魚紋)などが焼かれるようになつて「筒焼」についで見出されたのは「困流しの手法」である。この墨流しの手法も隼窯時代に始まった新しい手法で、白地に墨を流したりして様々なものを残したu」以上は⑪の写真の白釉の小壷についての解説文だが、丹波焼は掲色の土色の陶器がほとんどであつて、白地のものはこれに上ぐすりをかけて、いわゆる白化粧をする、ということになる。更に似を流して校様を作る工程を重ねるわけだが、装飾因案として、まことに系朴な味わいのものといえる。7 ヽ~一ヽ,一⑬ ⑩ ⑪ 指か手法

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