テキスト1971
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~ 波ば焼臼丹⑰丹波と摂津と播州の国さかいにある陶器の町、くわしくは兵庫県多紀郡今田村(こんだ)、その中に上立杭(かみたちぐい)下立杭(しもたちぐい)の二つにわかれて丹波焼の本場がある。鎌倉時代からはじまったこの窯は一名、たちくい焼ともいわれて、湘戸、常滑、信楽、備前、越前とともに、日本古窯の―つに数えられ、その歴史は古い。その昔は農業の中に陶器をつくつた、いわゆる半農半陶の窯だったが、附近の山地から産出する鉄分のある土を利用して一三00度程度の高熱によって、かんかんと音のするような硬笠の陶器を作りあげる。その昔は、京都の丹波口から入って山越しに丹波越えをして、fこ 九。月のはじめの日、この丹波焼をる道もあったが、今は福知山線を利用して、摂津の北端にある和野(あいの)に下車、三キロほど走つて丹波への国境、三本峠を越えて今田に入る。「折節の空は水無月の末、丹波太郎という村塞恐ろしく」などという古い物語にあるように、或は「丹波越えの身となりて」などといわれたほど、僻遠(へきえん)の地であつたずねて私と、写真の小西氏とふたり福地山線の「あいの駅」におりたつて、このやきものの町を訪れることになった。この索朴な味わいと、野趣のある花器に花を活けて、あわせて丹波焼の訪問記を書くことにしここに至R丹波焼の花器に「栗、けいとう」の一.柿を活けた。この間、立杭(たちぐい)へ行ったときに買つてきた花堺で、祇い禍色の土に窯変(かまがわり)があって、手のつき具合や底辺のずんぐりと鈍くさい形に野趣がある。栗とけいとうを活けてみると、なんとなく索朴な感じがして、花器に涸和した味わいの花となった。Rこの丹彼焼は私の父の時代からある花器である。よく引きしまった形で、小品の花を入れると識和がよい。白花のテッセン2本、それにしまがやの切りあとの二番目の葉をそえて、なるべく花器をかくさないように注意しつつ活けた。二00年程度の古い陶器に思われる。小さい壷だが、2 p,.r--~ ナこ。/' @ R

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