テキスト1971
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•‘. ・ーる•一鴫ヽ〜ヽf『i拿... 99 f ヽ153 g t A 4 ー、^r 六00キロ、ネ。ハールの国境に近い「祇園清水落ちくる滝の、音羽の嵐に地主の桜はちりぢり」謡曲の放下僧の中にある歌詞の一部です。京都というと加茂川、祇園、清水などが代表的な名所ということになつていますが、新年のことですから、その祇園、清水の正月らしい風景を写真にして、この附近のお話をしてみようと思います。祇園というとすぐ「祇園精舎」という言葉を思い起します。「祇園精舎の鐘の音は諸行無常とひびくなり」という言葉が古害にありますが、祇園精舎はインドの仏教の道場の名前であつて、印度デリーから東南へ約ところにサヘトというところがあって、ここに祇園精舎があったといわれます。祇園という名はそこから生れたものと思います。京都の祇園は八坂神社を中心とする神の園というのが語源だとも思われますが、今日では市街の中央部となり、ことに付近は花街柳巷の町です。その昔、千鳥の多かったという鴨川をわたつてその東、祇園、八坂、高台寺、清水へ東山のなだらかな坂道をたどつて、名所旧蹟が多く、神社堂塔の間を縫つて、なんとなくなまめきがあり、また脱俗の俳趣のある土地ともいえます。京都の町なみは、入りくんだ細々としたところに特徴があると思いますが、そうした感じの代表的な街ともいえます。東京なれば、お茶の水橘を渡つて湯島天神付近の小粋な料理旅館の町、あのような感じの多いところです。清水寺へは八坂の塔を左にみて、清水坂を登りますが、円山公園からくずが原、高台寺、産寧坂を歩いておみやげもの屋の町を通つて清水への道も中々風雅です。清水坂には工芸品の店、古い道具の掘出しもの... ま屋、竹細工師など、趣味の店が並んで、ぶらぶらあるきに適した町で京都の代表的な陶器の店は、この付近にはほとんどありません。Rの写真は「産寧坂」さんねいざか、といつてこの坂を登つて、清水の観批音にお詣りすると、お産が軽くなるといわれていますが、またここで転ぶと、三年目に命がなくなると、私達子供のころおどかされたものです。その下の方に高台寺があります、徳川家康の創建による建仁寺派の寺で、江戸時代に蒔絵の名エが住んだところで、高台寺蒔絵として有名ですが、今はその面影はありません。高台寺は萩の名所でしたが、これも柳紅の巷、遊翌の土地に姿をかえて、その風雅が彩をひそめています。それでもこの付近は、祇園か面白の花の都や、筆にかくとも及ばじ、東には、祇園清水落ちくる滝の、音羽の嵐に地主の桜はちりぢり、西は法輪、嵯峨のおん寺、廻らばまわれ、水車の輪のいせき、いせきの川波、川柳は水にもまるるふくら雀は、竹にもまるる野辺のすすきはー|.狂言小舞「法下僧」から9. , ^`..)-..f-r .` .. 8 祇園清水RR 蘊四.. .. 一、●高台寺の腰掛茶屋消水産寧坂.- ”‘ R •‘ ‘. 9っ囀R ill

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