テキスト1971
11/154

Rの小品花は、鈴木健司氏作磁器色絵の花瓶にバラの一種挿である。鈴木氏は京都陶芸の中堅で、日展入選10回の俊秀な陶芸家として嘱望されている作家である。亡くなられた父君鈴木清氏も京都を代表する有名な作家だったが、私も清氏と永年の親交があった。この家は父子二代にわたつて色絵の磁器の名手なのだが、その図案は新鮮な感覚があり、ことに健司氏の作品は、創作的な圏案があって技術的にも優れている。写真の花瓶は20センチ程度の小品だが、朱と藍で描いた草花の紋様がある。絵のある花瓶は、九谷焼が一ばん代表的だが、京都の作家では染附や色絵の陶芸家は少い。この傾向の陶磁器は第一に絵のうまいこと、図案に新鮮な考案のあること、その上に焼成の技術と花瓶の形のよさ、という綜合的な要求があって、中々むづかしい仕事だと思う。絵のある花瓶に花を活ける場合に痛切に感じるのは陶器のよさはいうまでもないが、絵が優れていることこれがいけばなにも影態を及ほしてくる。拙い絵付や、拙い考案の花瓶は、花を活ける意欲もおこらないし活けても花が引き立たない。絵のある花瓶は一般的に敬遠されるのだが、決してそうではない。より以上、花を引き立てる場合が多いし、楽しく美しいいけばなを作るこる。とが出来るものである。写真のいけばなはこの花瓶に、黒ずんだ赤の開花(左方)1本、オレンヂ色の花(右方)2本を高く入れ中央にクリーム色の花を1本配合して、バラ4本で活けた小品瓶花であ花器がすきとおる様な美しさを持つているので、花も色の美しい花を選んで、形のよさもさることながらまず色調に重点をおいて、花瓶と花との渾然とした調和というところに笙点をおくことが必要である。たっぷりとした緑の葉と花の色が、すつきりとした、いかにも清楚な感じのこの花瓶に調和して、器と花とが美しい絵をつくりあげる様な気持ちで花を活ける。まことに花の融合調和ということは大切なことである。いけばなの形だけではなく、花器の性格をよく考えて花を活けることが、なにより必要である。朝のうちよりも暖かい腸をうけると花首が少し柔らかくなり、切りとつても落ちることが少ない、などというのがその遊の智恵であった。地唄舞に「雪」というのがある。日本舞踊のことはあまり深くは知らないのだが、折にふれて見る中に私の一ばん好きなのは「雪」である。華やかさの中に渋い味わいの地唄舞その色艶のこまやかな情緒、傘をさして舞うこの舞姿は、溺々としてつきない趣きがある。狂言に「木六駄」というのがある。木六駄炭六駄衣牛に積んで雪の峠を歩く太良冠者の姿みの笠に白い綿を雪の様につけて、実在としてない牛十二匹を、真実にあるように見せかけて村がかりに雪を踏みながら舞台にかかつて行く。随分むづかしい狂言なのだが、戯曲として儀れたもののう。古のふりつもった日、比良の大山口の渓流にそつて、谷川ぞいの道を登つて行った日があった。雪の中に流れる谷の流れは、せんせんと音を立てて、その雪道を裔原のかんほくの林にわけ入ると、春蘭の早咲きの花、やぶこうじの小さい朱色の実、岩かがみのたとえば蟹の甲羅のように、紅く掲色の葉が緑の葉と入り交つて、雪の岩肌にすがりつくように群つている。雪の日のおもいでは、つる草の長くつきないように、白い地表の中に、多くの人の心の中に静かに暖ためられているものである。雷の一っであろ7 疇:.... 絵のある花瓶に@

元のページ  ../index.html#11

このブックを見る