テキスト1970
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専渓がすのが目的で、京都を出発したのでした。谷焼の壷に、深いあこがれをもつている私は、一っだけでもよいから優れたものを手に入れたいと思って、それが唯一の希望で金沢へ行ったのです。金沢の町はこれまで度々と行つていますし、窯元と称する店には魅力もなく、かねて知つている市内の香林坊の繁華街にあるMという高級品を扱う店へ行きました。香林坊という町の名はは7月下旬の夏もまつ盛りの暑い日九谷焼の花器と高山の民芸品をさ金沢は私の好きな町で、ことに九一般の九谷焼の店や面白い名前ですが、叡山の僧、高林坊がここに住んでその僧名が家名となり、代々香林坊を名のつて、その住居のある町が香林坊という町名となったということです。東京なれば上野広小路、都なれば祇園石段下といった、町の中心地で一流裔店がならんでおり、銀座か新斎橋のようなショッビングの町でもあるわけです。その中心街はじめからその店をめざして、なにかめぼしいのを見つけ出すつもりで、十間町の「みたけ」という旅館に一泊してその翌日、香林坊のそのにMという九谷焼の店があります。30万円程度のものをと思いながら、Mという陶器店に行きました。6月より7月へかけて京都の有名陶芸家の作品を数点(50万円程度)買つていますので、九谷の壷も1個渋谷、京その店でゆつくり腰を落ちつけ、階上階下の陳列品や、なお保存してある花器を十数個みせてもらって、目を通しました。私の心に通う作品が二、三個あつて、かなり大ぶりの壷で、九谷の特徴をはつきりともつ、図柄の巧みな磁器でいかにも魅力のある作品があったのですが、さて、価格の点になると、いずれも一個百万円以上の壷でした。こちらの目がこえて、平凡なものには興味を感じない点もありますが、さて、この百万もする壷に花を活けることを考えてみると、あまりにも常什の花器としては使いにくく、実用的でないと思ったのです。むしろ錯宜陶器として装飾的価値のあるものなのです。この秋に開催する「流展」に使う目的のために、その第一歩として、花器さがしをしているわけなのですが、この九谷焼にはどうにも手が出なくつて、残念でしたがやめることにしました。午後2時すぎの名古屋行きの列車に乗り、富山から折り返して高山線に人りました。高山線に入ると神通川の峡谷にそうて、様な山林の巨木が空を毅うように、窓外は深い渓谷に巌石に水がほとば一方は見上げるしつて、京都の保沖川の様に渓流にそうた線路が、いく曲りにも曲つて約二時間ほど山また山の中を列車は走りつづけました。今度の金沢ではなんの収獲もありませんでした。ただ、金沢駅前にある持明院を訪問したのが唯一の収秘といえる程度です。雑踏した駅前の小路を入ると、そこに蓮の寺として有名な持明院があります。この寺にには植物学的に有名な「妙蓮」が咲きます。妙辿は多頭辿ともいわれ、滋賀県の守山の農家に栽植されている妙蓮とともに全国に二か所しかない珍らしい蓮の池があります。一っの茎に一花の蓮が普通なのに、この持明院の蓮と、守山の述は、花頭が多数にわかれて二千枚乃至三千枚の花弁をつけるといわれています。他の場所に移植しても二、三年で特徴をうしない普通の蓮花となってしまうそうです。金沢の持明院と守山の妙蓮だけは、伝統的にその場所に不思議な花を咲かせるのです。数年前のテキスト誌上で紹介しましたが、先日この寺を訪問して、本堂の裏にある二百坪程度の池に咲く蓮の花を見ました。漸やく花が数本上った程度で、妙迎の開花をみることができなかったのは残念でしたが、駅前の小路を入って、お寺の入口がわかりにくいほど、ごみごみしたこれがお寺かと息うほど入りくん(次。ヘ一茎にージヘ)(高山市上三之町)花器に使う面白い民芸品はないかと,高山の町を訪れました。11 飛騨高山ヘの旅

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