テキスト1970
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のこの辺は花筵の生産地で、広い堤防の斜面に製品の干されているのをみることが度々あるのだが、この地方に旅なれた私でさえ、深い詩興を感じるのである。西阿知の向う岸に酒津の町がある。一度だけ訪れたことがあった。清音の辺りだったと思うのだが、高梁川の中央に大きい島があって、これは小山や農耕地のある様な川中島だが、その両側にJIが分流して、酒津をすぎるとふたたび合流して霰柄の方へ流れて行く。酒津は水郷の里である。ダムの様に見える広い水辺に桜の並木が、見渡す限りつづいていた様に記憶している。私が行ったのは丁度、桜の満開の頃で、水と花の美しい景色だったが、これもはるかな思い出なのだが、ここには酒津焼という窯がある。酒津堤窯と倉敷みなと窯と二つにわかれているとのことだが、堤窯というのが、水郷酒津で作られる陶器だときいている。素朴な感じの民芸風の陶器で、備前焼といわれる素焼のやきしめとは趣が変つており、上ぐすりをかけた日常陶器の類が多い様である。昭和に入ってから陶芸家浜田庄司氏や京都の河井寛次郎氏などの指迎によって作風も大分変つてきたとのことだが倉敷市阿知町にある酒津焼の窯元の作品は、ほとんど寛次郎風の形と焼成の調子、医案まで河井氏の作風に似ているので、私達京都人にとつてはそれほど興味をひかないのだが、仕事そのものは中々すぐれていると思う。ある羽島焼は、これも酒津の系統だが、民芸調の素朴な味わいが感じられて面白い。この羽島焼の店には、桑原専殿の花がいつも活けられており、先日、通りかかりに生花二瓶の軽やかな花をみたが、まことに清楚な花で技巧もよく嬉しく拝見した。がよい、というのではないから、誤解しないで欲しい。この羽島焼窯元の向い側に、原某という旧家がある。大原さんの親族とのことだが、倉敷風の民家の代表的なお屋敷である。屋根の形、格子窓のつくりまで、そ大原さんの本宅をはじめ、いわゆる倉敷調の民家が数多く残存しており感銘を与えるのである。知られているのだが、倉敷川の堀割りを中心に美術館、民芸館、考古館新渓園、その隣りに新しく増設された美術館など、またその隣りの倉敷国際ホテル、市役所など一とところに集つて、倉敷を代表する美しい町なみを構成している。りを改編してゆくのだが、いくたび訪れても見あきないのは、この町がこれに比較すると、阿知二丁目に桑原の花が入っているから羽島焼の構成の美しさに、表引戸に近かよつて内部を拝見する。倉敷の町にはこれらがこの町を訪れる人達に深い倉敷の町のたたずまいは、ひろく倉敷は年ごとに新しくその町づく―つのはつきりした感覚と、主調をもつていることなのであろう。京都というかなり強い個性をもつ町の住人である私には、ことに深く感じられるところである。次々と建築される洋風の建造物にも必ず、倉敷という個性を備えてつくられているのは、この町を愛する旅行者にとつてどれほど始しく感じることだろう。この意味において日本の代表都市である京都も、新しい建造物が、最近次々とつくられてゆくのだが、期待される京都の顔を似つけない様な市街の構成をして欲しいものと痛切に思うのである。本町の倉紡のあと地に市民会館が建築されるという。中国地方を代表する大きい会館らしいが、新しい美を加えることが望ましい。私の岡山は永い年間に、この地方のかなり広い範囲にわたつて歩いたことになる。伯備線の新見から高梁川の山間部の村、田原まで、藤戸、児島、宇野、西大寺から岡山、笠岡、金光、福山まで、随分広い範囲に渉つて流儀のいけばな展や、花材の採集やらいろいろな用事もかねて、その機会を利用して、建築、庭園、エ芸など主として美術的なものを見て歩いた。ことに、倉敷の美術館や民芸館へは幾度も幾度も訪問したが、いつ見ても楽しいのは民芸館である。倉敷は江戸時代は幕府の直轄地で、いわゆる天領という名のもとに特別な権威をもつて成り立った町である。この地方の年貢米を集めて江戸へ送つたという。倉敷とは倉庫という意味の中に、その倉敷料を徴収する言葉でもある。その字の示すように米の集散地であり、またその他の物資の集散地として発展してきた歴史をもつている。飛騨の高山と同じ様に、特殊な権益をもった土地だけに、気位も高くいまだにその気風の残っているのは、ここを訪れた人達の肌に感じるところである。民芸館は倉敷川に面して四棟の古い土蔵を利用して設誼されている。天領といわれる時代に米の貯蔵庫として建築された歴史的な建造物だが外観もすばらしいが内部の建築構造も、その時代の伝統と機能を活かして造られてあるだけに、この建築そのものが、民衆工芸の極致を示すものといえる。内部の隙列品は日本全国にわたる民芸品の蒐集、世界各国の民芸品まで、あらゆる部門にわたつて陳列されており、数時間を費してもなお、あきない興味と、有益な知識を与えてくれる。(参考書として、の民芸」を推煎します。倉敷市前神町倉敷民芸館へ(価―――五0)未見の方はぜひ一度おいでなさい。宿はすぐ隣りの倉敷国際ホテルがよい。部屋の窓から倉敷特有の屋根が見おろせます。日本式旅館は阿「岡山知二丁目のダイヤ館がよい。名前はおかしいが、趣味の深い宿で、ことに古備前陶器の蒐集品が陳列されていてすばらしい。お料理も中々よろしい。岡山特有の庭園形式が見られる。美術館、民芸館などの前にある堀割の水路が倉敷川で、この川はいつも濁り水であまり清らかではないがこの川は藤戸をへて児島湾に至る水路である。昔はここから米を舟に積んで江戸へ送ったという重要な運河である。美術館の前にある石橋が今栢、すぐ隣りの橋が中橋、少し下手に前神橋と、いずれも堅牢な石造りの橋であつて、舟の通過の便を考えたのであろう、いずれも高い反り橋(そりばし)で形が風雅である。周囲にある伝統の建造物と調和して、美しい風景を見せている。この堀の向う岸に「鶴形」という料亭がある。古い土蔵造りを改造して最近開店した店らしいが、国際ホテルの経営だそうで、東京、京都の一流料亭にも遜色のないお料理が出来る。京都の板前だということだが店もよし味もよしという、とにかく倉敷には珍らしいよい料亭である。さて、思いつくままにいろいろの雑談を書いてみたが、まだまだ書きたい話題がうず高くつもつてある。また、機会を考えてお話したいと思う。(祇園ばやしの音をききつつ)7月16日夜8 ....

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